三四郎

Liebe kann lügen(原題)の三四郎のレビュー・感想・評価

Liebe kann lügen(原題)(1937年製作の映画)
4.8
ハッピーエンドでなんとも感動的な話じゃないか!
ドロテア・ヴィークの教師役がまたよく似合う!こんな綺麗な先生なら何時間でもいいから個人授業を受けたいものだ笑

1942年、『女生徒』というタイトルで公開予定だったが、戦争の為、日本では未封切りに終わった。

ヒロインのケルスティンは、「街一番の美少女」と呼ばれているブロンド娘。同世代の男子たちは皆彼女に心を奪われている。
新しく来たアフリカ帰りのアンダーソン博士がマレ先生に「女子高生はもう少女ではないけれど、かと言ってまだ女性でもない」と言い、一般的な質問として「先生と生徒が恋に落ちた場合」の可能性を真剣に問う。マレ先生は「そのような場合、できることはただひとつです。離れること。できるだけ早く別れることです」と言う。
しかし、アンダーソン博士は「いや、人を相手にする教育という仕事をしている身として、やはり自分自身で対処し折り合いをつけなければならないと思います」と言い、自分自身を傷つけることになっても自らケジメをつけると言う。
誰かこの映画に日本語字幕をつけてくれないかな〜。

女子高生と先生の関係については、日本の同時代の映画だと石坂洋次郎原作で豊田四郎監督の『若い人』があるが、ドイツも日本も同じ1937年に似たようなテーマの映画を公開しているのが興味深い。
しかし、このドイツ映画の方が、楽しさ、面白さ、それに厳しさと優しさがある。

※キネマ旬報(608)1937-04
海外製作界情況『愛は僞ることあり』として紹介


【映画の内容】
教師と生徒の禁じられた恋を描いた作品。アンダーソン博士は女学校の新しい文学史の教師として紹介される。最初から、若い女子高生たちは彼に恋心を抱いている。一方、彼は、ベティおばさんと暮らすケルスティンという女子高生に関心を抱く。そして、ケルスティンもまた新しい先生にとても惹かれている。アンダーソン博士は同僚のマレ先生に「先生と生徒の関係」の可能性を問う。
その頃、アンダーソン博士が書いている小説の一部をケルスティンのことが好きな男子が手紙にしてケルスティンに送り、ロマンチックで、正しくもあり間違いでもある誤解が起こっていく。最終的に、全ての誤解は解け、ハッピーエンドとなる。
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