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瞼の母のotomisanのレビュー・感想・評価

瞼の母(1962年製作の映画)
4.7
 錦之介の忠太郎の優し気な感じに心打たれる。金町の舎弟のおっかさんに手を添えてもらいあの告げ文を記す様子の睦まじさは、そのふみの凶状宣言に似つかわしくない。
 こんな忠太郎の素顔のちぐはぐさが錦之介に共存して不思議さがないところに加藤映画の良さがあるのだろうか。つづく広場の隅の鳥追い婆とのやりとりも、枯れ夜鷹への庇いだても、あとから二人が心を震わすような後引きを残す様にも深い温かみがある。
 それだから、物語を急転させる実母との再会の険しいやり取りに娑婆の近しい者同士なればこその急な接近の難しさが心を刺す。無頼漢と大店の女将という有るまじき同席である。確かに剣呑な関係を女将はそれを切り捨てなければ示しがつかない。まして、あとには娘の婚儀が控え一片の妥協も許されない。もとより通じない望みに利害が背中を向けさせる。
 優しい凶状持ちに対する真っ当な市民の社会人として当然払うべき冷厳さが忠太郎を許容するには不適格と告げる。例えそれでこころに厄介を残しても建前を崩してしまえば築いてきた信用と富はたちまち危うくなる。だからこころは厄介だ。危うくなる大店の女将の立場を承知か忘れたか、呼び戻せないと半ば思いながらも忠太郎のあとを追ってしまう。
 この物語の登場人物、鳥追い婆、老夜鷹、母およし、忠太郎自身にとっても全てに、取り戻せぬものの不在が残される。あるいは金町の舎弟の母と妹もやがて同じ道をたどるかも知れない。この虚しさをどう晴らすか。
 かつて子ども時分にみた別の忠太郎は宿場外れの田なか道であの「両の瞼をとじれば」の独白のあと、飯岡の手下のひとりの急襲を組み止めながら「親は、子は」「そんな面倒なもぬぁねぇ」に斬撃一閃で応え、遺骸を土手下に蹴落とし、直後道上に現れた母妹の呼び声には身を隠し、遠ざかるのを見やりつつそびらを返して闇に駆け去る。この間僅か2分、これがこの映画からおそらく十年ほど後の忠太郎像である。そこには、話中積み重ねてきた暖かいものも全て擲って元の凶状持ちの暮らしに何ら得るところなく、いや失うところばかり、即ちそれまで温めてきた「瞼の母」すらかき曇らせて戻らねばならない悲痛を血飛沫で払拭する強烈な決心を感じた。
 まるで、芝居の舞台のような和やか感じの'62年の作品に映画全盛期のスクリーンに映すべき忠太郎は恐らくその凶状持ちの素顔とは異なる人物像が求められたろう。だから、悪党勢ぞろいを大掃除して、妹の許婚すら呼んできて大勢繰り出しての忠太郎焦がれを図ってまでして、忠太郎の孤独を見送るのである。
 おかしな話のようで、実は忠太郎のように心に素直に動けない真っ当な暮らしの人の、建て前に心を封ぜざるを得ないで生きなければならない不自由さを悲しむようである。内心、'70年代の忠太郎を心に刻んで臨んだ錦之介忠太郎あるいは加藤版忠太郎に幾分違和感を覚えながら見終えたものの、ふりかえると忠太郎に望まれる、人間像の理想のようなものを見たのかもしれないという、人間の両極端を図らずも今はひとつにまとめて宿してしまったような不思議な感じがある。
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