安藤エヌ

君たちはどう生きるかの安藤エヌのネタバレレビュー・内容・結末

君たちはどう生きるか(2023年製作の映画)
3.7

このレビューはネタバレを含みます

観た直後でのスコア。理解しきれてない部分も多々あるので、今後見返し続けていくにつれ変動の可能性はある。

以下、考察メモ

おそらく今作での重要な部分は、タイトルの問いにつながる①"炎"の描写 ②眞人と夏子という痛みを抱えた義親子③女性が命を産むことへの畏怖かなと思う。


・炎の描写
ヒミの纏う炎は美しく、悪を跳ね除ける力に満ちているが、真人の母を死へと導いた炎は反対に世界の恣意と暴力(戦争)に身を焼かれる激しく邪悪なさまとして描かれている。眞人の夢や幻想に繰り返し現れる母が炎に巻かれる描写。この対比で観客に世界の美醜の意識を持たせ、眞人のように"これからどう生きるか、何を選び取るか"という運命(世界)を決定することの重大さを問いかけようとしている

・眞人の傷
「自分でつけた傷です」という自白→世界を創造するのではなく、自分の世界を生きる
傷というミニマルなもの/世界を創造した石という巨大なものの対比

苦しみを負うキャラクターは他にもいた

・産屋の描写
夏子という女性がひとつの命を産み落とす苦しみと神聖さ、出産を"穢れ"とする思考→ 明らかに昨今のジブリと過去のジブリとで女性の描き方が変わっている。命を生み出す女性への畏怖ともとれる。子ども(眞人)側から考えれば、出生/反出生主義にも通じる?

夏子と眞人が苦しみや痛みを乗り越えて"扉"を開けて元の世界へ戻るという選択をしたことは、これからを生きる人々を勇気づけることになると感じる。『君たちはどう生きるか』で描いているのは、誰しも産まれるのは怖いことなのに、誰もそれを自分の意志で選ぶことができないということ。身を裂くほど苦しいトラウマや、傷、血、たくさんのものが流れ、残り続ける。だけどこれから生きていくこと、自ら選んで歩んでいくことの勇気が持てた時、新しい世界の想像(創造)ができる。その後押しをしてくれるのが、 君たちはどう生きるか、という作品だと思う。



・産まれる前の命"ワラワラ"とペリカン
ワラワラはペリカンに餌として食われ、そのペリカンは一族の存続のため渡ってきたが"この島(下の世界)"しか見つからなかった、という絶滅の境地に立たされている→生と死のコントラスト/輪廻、死への弔い、"食う"という生理的衝動(ex.千と千尋の神隠しのカオナシ)→人間が人間として生きていく上で根本となる原始的な部分。

・キリコ(仮?)と真人が魚を捌くシーン
生きものに刃を刺し、臓物を出すグロテスクな描写→そのような行為のもとで命は続いていく、グロテスクであっても目を背けてはならない。生命の営みを見つめるべきというメッセージか?

・石の描写
下の世界へ行った時の『我を学ぶものは死す』の石(墓石)
ひい祖父の積み木
産屋に入る前に反発する石
眞人の「それは木じゃなく墓になる石です」
この辺りはまだうまく噛み砕けていない。

・鳥の描写
ペリカン、インコ、青鷺のそれぞれの下の世界での位置づけ→人間社会を投影しているのは明らか。インコはおそらく下の世界で最多の人種(鳥種)。王政を敷いていることから文明や社会構造がはっきりしている。
彼らが下の世界から上の世界(現実世界)に行った時、本来の姿に戻り飛び立つのは、「飛び立ってもっと広い世界を見る"生き方"を選んだ」ということ?
宮崎監督のことだから、"飛ぶモノ"にはそれなりの重要な意味を付与するはず。なぜ今回こんなに鳥を登場させたのか考えていきたい。
安藤エヌ

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