天才の生き様を、見届けよ。
世界観、キャラクター、声。
どれをとっても既視感のあるもので、どこか懐かしい。
アニメーションの神様、宮崎駿が作り出した世界は、ユニークな魅力に溢れており、いつの作品も我々の心を掴んで離さない。
そんな彼が人類に対し、「どう生きるか」をテーマに掲げ、作品を作った。
大叔父の存在は、やはり高畑勲であり彼自身でもあると思う。
では、創造主である彼らは我々に何を投げかけるのか。
ストーリーの様々な描写からは、受精から出産までのメタファーがいくつも見て取れる。
カエルと鯉に「行け」と煽られたのは射精を想起させるものだし、夏子の部屋に向かう道のりは着床、最後の大洪水は破水を連想させる。
主人公を精子とした生命の神秘を、一本の映画で表現したのだ、と筆者は考えた。
また、自らの頭を石で傷つけた主人公は、きっと死への願望が強かったのだろう。
母の後を追う行動や、未知の世界に臆することなく飛び込んでいくことにもそれが見て取れる。
彼が最後に、自分で傷つけたことを認めたのは、「生きていく」ことを決意したからだ。
出産の過程を描き、命の尊さを描く。
それを見た主人公も、我々のように変わっていく。
そして、こんなメタファーを作り上げた一本のアニメーションの世界は、崩壊した。
後継者もなく、送り出す子供たちも、もう居ない。
宮崎駿の世界は、ついに終わりを迎えたのだ。
エンドロールが終わった後、色々な感情がせめぎ合ってしばらく動けなかった。
自分の幼少期、世界そのものだったものが、社会人になるこのタイミングで幕を閉じた。
宮崎駿の居ない世界で、彼の新しい世界に触れ合えない人生で、どう生きれば良いかなんて分からない。
しかし、「これで終わりだよ、あとは君たちの足で踏みだしな、」と言われているような気分で、帰り道、涙が止まらなかった。
3時間経った今も、友人と語り合って嗚咽している。
解説みたいなことを書きつつ、まだ整理できないことが沢山ある。
「君たちはどう生きるか」
覚悟を決めるため、何回でも観ようと思う。