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君たちはどう生きるかのdemioのレビュー・感想・評価

君たちはどう生きるか(2023年製作の映画)
4.5
愛する親から物理的あるいは心的に隔絶を強いられた子どもが、水のある環境で臨死体験をする。冥界の入口での戯れを観客たちに内部観測させるようにイメージ化するといえば、まず宮沢賢治『銀河鉄道の夜』があり、そしてタルコフスキー『僕の村は戦場だった』もその系譜に入れてもよいだろうけど、宮崎駿最後の長編になるかもしれないこれもまっとうにそういう作品だった。
特に冒頭、母がいる病院の火災現場に向かって少年が走るシーンの鮮烈さがその後のすべての強度を可能にしている。歪んだパースや町の人々を背に、物理法則から遊離したいびつな加速度で少年は駆け抜ける。火や熱風を写真的な外形でなく、その火の只中を駆け抜けるとき本人が抱く内観的なイメージからえがきだすのはイギリスロマン主義の絵画――ターナーの諸作のようだった。つまり少年は、母を燃やす火に(恨みやトラウマ以上に)むしろ耐えがたい崇高を見出している。当の母も事実燃えていくとき安らかな顔をしていたし、のちに冥府で出会い直すとき彼女が火と戯れていたとおり、母は焼け死んだというよりも"火と友だち"になっていった。少年もそのことを理解している。だから階段で膝を枕に寝ているとき母が燃える夢を見ても、うなされる様子もなく安らかに顔を上げる。火はつねに貪欲なペリカンたちを払う浄化の力だった。少年は母が燃える火を超える鮮烈なイメージにいまだ(二度と)出会えない。その虚しさを実業家の父は分かってくれない。父は妻=母を変数だと見ている。だから、亡き妻によく似た妹(叔母)との再婚で反復をはかる(経営する工場の作業音のように)。しかし息子にとって母は、且つあの火の鮮烈さは反復不能である。そんなことも分からない父をどこか軽蔑しているから、こんな程度のことで騙されるだろうと石で自分の頭を割り、喧嘩の傷(相手の責め)を過大に見せる(その他思うところを書くにもきりがない)
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