kkkのk太郎

君たちはどう生きるかのkkkのk太郎のネタバレレビュー・内容・結末

君たちはどう生きるか(2023年製作の映画)
4.4

このレビューはネタバレを含みます

姿を消した継母を探すため異世界へと足を踏み入れた少年の冒険を描くファンタジーアニメ。

監督/脚本/原作は『となりのトトロ』『千と千尋の神隠し』の、巨匠・宮崎駿。

主人公・眞人を導く青サギ/サギ男を演じるのは『帝一の國』『銀魂』シリーズの菅田将暉。
眞人が住む屋敷に仕えるばあやの一人、キリコを演じるのは『ガリレオ』シリーズや『名探偵コナン』シリーズの柴咲コウ。
眞人の父、勝一を演じるのは『ハウルの動く城』『マスカレード』シリーズの木村拓哉。
異世界の権力者、インコ大王を演じるのは『風立ちぬ』『シン・ゴジラ』の國村隼。

1937年に発表された吉野源三郎の同名小説から影響を受けて制作された作品であり、作中でもその小説が登場するものの、直接的な繋がりがある訳ではない。
この同名小説は既読だが、もうあんまり覚えてないなぁ…。

前作『風立ちぬ』から10年。
長編作品からの引退を表明していた宮崎駿監督がついにカムバックっ!!
それだけでも大事件なのに、今回はその上、公開まで一切の宣伝もしないし情報も明かさないという異例の体制が取られた。
夏の超大作として封切られるというのに、話の内容はおろか出演者すらわからない。こんな事は後にも先にも今回だけだろう。この五里霧中感を楽しむという意味でも、今すぐ劇場に駆けつけなければならないのですっ!!

という訳で、早速初日に劇場鑑賞。
最速鑑賞組の「意味がわからない」という旨の報告をネットで目にしていたものの、まぁそこまでではないだろうとたかを括っていたのだが…。

これマジかっ!!??
上映終了後の劇場内の、水を打ったような静けさ。
今目の前で起こったことを、誰一人として飲み込めていなかった。
もちろん宮崎駿監督作品が一筋縄ではいかないことくらい百も承知なのだが、まさかここまでハイブロウなものを提示してくるとは…。
やっぱりこの人頭おかしい…😵‍💫

情報が溢れかえっている現代だからこそ、あえて宣伝しないことが宣伝になる、とは鈴木敏夫プロデューサーの言。
言いたい事はわかるし、まぁ確かにその通りかもな、なんて鑑賞前は思っていたのだが、いやこれ鈴木さんも売り出し方がわからなかっただけなんじゃ…💦

一緒に観に行った友人はかなりのご立腹だったし、おそらく世間的にもこの作品はめちゃくちゃ叩かれるだろう。
とは言え、自分としてはこの映画を嫌いにはなれない。というかかなり好き❤️

口が裂けても「めっちゃ面白かった!」とは言えないし、人にオススメもできない。
脚本は支離滅裂だし、キャラクターの行動原理も意味不明。ウェルメイドな作劇とは天と地ほども差がある、奇妙すぎる怪作。
しかし、その奇妙さが自分の頭にへばりついて離れないのです。

映画にしろ漫画にしろ、ほとんどの観客は明快なストーリーラインを好む。
Aという点、Bという点、C、D、Eという点があり、それを直線で結んでゆく事で物語を作り上げる。洋邦問わず、大衆に受け入れられる物語は大体こういう作りになっている。

しかし本来、物語というのはもっと漠然としたものだったと思うのです。
アルゼンチンの作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスが編纂した「ボルヘス怪奇譚集」(1955)。これはボルヘスが世界各国の怪奇譚を蒐集し、それを再編集・再解釈したものなのですが、どの物語も唐突であやふやなものばかり。しかしボルヘスは「物語の精髄は本書の小品のうちにある」と断言しています。

思うに、物語には点と点を繋ぐことによって成立する直線的なものの他に、円と円の連なりによって成立しているものもあるのではないでしょうか。というか、その”円”の物語こそがプリミティブなものであり、”線”の物語はその派生系、もっと言ってしまえば商品になるように加工された”インダストリアル”なものであると、私は考えています。
Aという円があり、またBという円がある。AとBの円は2点で交わっている。そこにさらにCという円が、AとBのそれぞれと2点で交わるようにして描かれる。そしてさらにDという円が…。
このように成り立つ物語は、直線的ではない分無駄が多く、一見しただけでは意味がわからない。
しかし、このような円と円の交わり合う部分の外側、無駄に見える部分に宿るものこそが人間の持つ原初的な想像力、言い換えれば「物語の精髄」なのではないでしょうか?

このプリミティブな物語性を追求したものこそが”幻想文学”というジャンル。
幻想文学において、プロットに穴があるとか物語に整合性がないとか、そんなことは関係ない。作者の持つ豊かな想像力をどれだけ具現化出来るか、それこそが全てである。

初期の宮崎駿は、点と点を繋いでいくという”インダストリアル”な物語の名手だった。『カリオストロの城』や『天空の城ラピュタ』はその最たる例である。
ウェルメイドな語り手であった宮崎監督だが、『千と千尋の神隠し』辺りから物語の整合性を放棄し始め、その作品群はより幻想文学としての色合いを濃くしていく。

現代幻想文学の旗手、村上春樹は物語を作ることをロールプレイングゲームに例えています。
ゲームを作る自分と、そのゲームをプレイする自分。物語を書くというのはその両方が同時に存在する事なのだと。つまり自分で物語を作っているのにも拘らず、その物語がどのようなストーリーを展開していくのかはわからない、自動筆記のような状態にあるのだというのです。
現代日本を代表する作家という事で、海外メディアでは度々その類似性が指摘されている宮崎・村上の両者だが、確かに今作は村上作品の風合いにひどく似ている。

本作は純然たる幻想文学であり、おそらく脚本的な面白さはハナから一切考えられていない。
それよりも重視されているのは、監督の頭の中にある想像を出来る限りそのままの形で具現化するという事。
おそらくは監督本人でも理解しきれていない、イメージの本流をそのまま観客に提示すると言うほとんど実験映画のようなことを行っているように思います。

物語のコントロールが自分の手から離れている状態で作り出されたのが、少年・宮崎駿(ゲームのプレイヤー)と老人・宮崎駿(ゲームのクリエイター)の対話劇であるというのは何とも面白い。
後継者には血の繋がりが必要だというのはなんとも生々しい独白でありが、それを自分自身に否定させることにより、これまで築き上げてきた世界と心中する。
まるで三島や太宰のような正直な独白。それを幻想文学の形式で描き切ったのだから恐れ入る。
小手先のテクニックや頭で考えたロジックではない、物語の語り手として約60年も活躍し続けてきたという経験が成せる技を堪能させていただきました。

幻想文学の面白さというのは、世の中にイマイチ浸透していない。一流のエンターテイナーである宮崎駿は当然その事を理解している。なので、これまでの宮崎監督作品では、どれだけ意味のわからん物語であっても、必ず最後には観客が喜ぶお土産が用意されていた。
最も作家性が強く出ており、一部では宮崎駿の”遺書”であるとすら言われていた『風立ちぬ』ですら、最後は大衆が喜ぶようなベタなオチがつけられていた。
しかし、今回はそのエンターテイメント性をすっかり放棄。理解不能な脳内世界を作り上げ、観客をその中に放り込んだ挙句、お土産を手渡しすることもなく、ドンっと突き放すことで物語空間から締め出してしまう。
この態度に腹を立てる観客も少なからずいるのだろう。

今回、美味しいお土産はない。
しかし鑑賞後にポケットを探ってみると、あるんですよ。無機質でゴツゴツした石が。
最初は「なんじゃこのゴミは?」なんて思うんですが、それを手のひらでこねくり回しながらじっくり観察していると、なにかが違って見えてくる。
ただの汚い石かと思ったけど、なんか結構面白い色してるじゃん。
ここはトゲトゲしていて危ないけどここはスベスベしていて気持ちいいな。
ここの傷はなんだか人間の顔みたいで面白い。
あっ、ここの隙間から見えるガラスの結晶はキラキラしていてとってもキレイだ…。

人によってはただの汚い石ころ。人によっては綺麗な小石。みんながみんな楽しめる映画ではないけれど、観測する人間によってその表情を変える。
そんな映画を目指して作られたのだと思うし、その試みは成功していると思うのです。
宮崎駿最高傑作!!…とは決して言いませんが、何度も繰り返し観たくなるような、まぁとにかく凄まじくクセのある映画なのです。

ただ一つ気になったのは、今作の画的なつまらなさ。
これまでの宮崎駿なら、主人公が迷い込む異世界にはもっと観客の心を躍らせるような猛烈で激しい作画の嵐が吹き荒れていたはず。しかし、今回はそれが一切なかった。
荒海を越える展開の静けさといったら、これが本当に『ポニョ』で気狂いじみた津波を描いた人の作品か?と疑問に思ったほど。
今作の画的な盛り上がりの少なさは意図していたことなのか、それとも年齢的な衰えによるものなのか、そこのところがわからない。
御年82歳。年齢を考えれば今作が宮崎駿の長編最終作になる可能性は高いが、今回の画のパワーの弱さの原因をはっきりさせるためにも、監督にはまだまだアニメを作り続けて貰いたい。
というか、せっかくここに来て純幻想文学作家というさらに新しいステージに登ったのに、今作が最後になるのは勿体無さすぎる。
頼むからまだまだ、出来れば100までやり続けて下さい…🙏

※駿老人が駿少年に手渡した積み石の数は13個。
『未来少年コナン』から『君たちはどう生きるか』まで、宮崎駿の監督作品は全部で13個。
この数が一致するのはただの偶然?それとも意識的に行った事なのだろうか…。
真実は監督本人のみが知る。
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