えるどら

君たちはどう生きるかのえるどらのレビュー・感想・評価

君たちはどう生きるか(2023年製作の映画)
3.6
7月14日鑑賞。
Twitterでネタバレを踏まない先に思い切って仕事帰りに見てきた。
「これを一切の情報無しで放映したのか…?なんだこれは…?」というのが最初に浮かんだのが、正直な感想だった。
インコが出てくる辺りまでは何となく理解が追いついていたように思うが、その後の石の積み木がどうののシーンにはもうサッパリだった。大叔父さんは何の話をしているんだ…?
だけれども、ラストシーンが流れて、EDまで全て終わったとき、清々しい気持ちになった。
あれから丸一日が経ち、さんざんこの映画について考え、吉野源三郎原作の漫画版「君たちはどう生きるか」を読み、未だよくわからないままに感想を書いている。
この映画がよくわからなかったのは「映画の最初と最後で主人公にどのような変化が起こったのかわかりづらいから」だと思う。
それについても考えてみた。

───ここからネタバレ───

【アオサギと境界】
まずこの映画を見て印象的だったのは、ふたつの対になる世界とその境界の存在だ。
主人公が生きる現実世界と大叔父さんが生きる塔の世界(あの世界が何なのかわからないのでこう呼んでる)。
それぞれには人の住む家と塔がある森があり、主人公の世界には人が、塔の世界には鳥がメインで生活している。
そしてその境界には水があり、池があり、海がある。
この表現は「千と千尋の神隠し」や「もののけ姫」でもあった表現で、人の住む領域と人ならざるものが住む領域の間には水が流れている。
「千と千尋の神隠し」ではトンネルを抜けて川が流れている区間があり街に続いている(夜になるとその区間は水に沈む)し、「もののけ姫」ではシシ神の森とたたら場の間には川が流れていた。
人は街に住み、怪異は森に住み、それらは隣り合っており、その境界には水がある、という概念だ。
その境界を行き来できるキャラクターこそが今回のメインビジュアルこと「アオサギ」だ。
彼は鳥でありながら人でもあるという、まさに境界の存在だった。
アオサギが初めて言葉を話し誘ってきたのも水の上だった。
アオサギはふたつの世界を繋ぐ仲介者であり、水もまた、ふたつの世界を繋いでいるアイテムであると考えた。
塔の世界では、海を越えて異様な島に入る。
お婆ちゃんたちを思い出した後に、水を飲むシーンが印象的に描かれる。
水は現実世界と塔の世界を繋ぐ境界として描かれており、そこから登場するアオサギはふたつの世界を結ぶ重要なキャラクターである。

余談だが、映画序盤のアオサギが動くときに鳴るピアノのBGMが本当に心地良くて、アオサギの動きに目と耳が釘付けになった。
作中世界に引きずり込まれてしまった。

【真人の嘘】
人でもあり鳥でもあるアオサギは「傷がある」という点で真人と共通点を持っている。
そして真人とアオサギの違いは「嘘をつくか」だと思う。
アオサギは「オイラは嘘をつかない」と言っていた。
真人はいじめられた後、自分で傷をつけたにも関わらず「転んだ」と嘘をついた。
なぜ嘘をついたのか。
真人の行動を振り返ってみると以下のようになる。

①真人は学校初日の放課後にいじめられる
②その段階では服が汚れた程度だった
③彼はおもむろに河原の石で自分の頭をぶん殴る
④相当量の出血をし、そのまま帰宅
⑤家族や使用人に手厚く介護され、父は学校に直談判する

転んだと言うだけなら石を使う必要は無い。
真人の目的は「学校に行かないこと」だと思う。
正直に話す場合、いじめられたとなれば父親が黙っていないだろうし、アレコレ聞かれるのも面倒で、なにより自分のプライドが許さない。
真人はしばらく学校に行きたくなくて、少し大きい怪我をすることを決めた。
しかし真人の想定を超える周囲の対応、怒って学校に直談判&多額の寄付金を送る父親、タイミング悪く体調が悪くなる叔母などが重なって後悔の念が膨らんでくる。
嘘をつき、他人の善意を盗み、楽をしようとしたこと、そして信用を失うのが怖くてその嘘を言い出せないこと、その証がこめかみの傷である。
いづれにせよ、真人は悪意ある嘘で傷の真実を覆い隠した。
故に傷が真人の悪意なのだというのが私の解釈だ。

作中にも登場した吉野源三郎原作の「君たちはどう生きるか」でも主人公・コペル君が友人を裏切ってしまいそれを謝れずに後悔するという物語が登場する。己の弱さに負けてしまった行動に後悔が尽きない、その苦しみの中で人はどう生きていけばいいのかを記した箇所だ。コペル君は友人に手紙を送り、正直に謝り、また仲直りをする。

まぁしかし真人がこの苦しみをどう乗り越えたのかは作中ではよくわからなかったが。(石の積み木とか何なのかわからんし…大叔父さんにカミングアウトしたところで何にもならんやろし…)

【真人の後悔】
吉野源三郎原作の「君たちはどう生きるか」で主人公・コペル君は友人を守ると約束していたのに、恐怖によって行動に移すことができなかったと後悔している。
そんなコペル君に対し、母親が「やるべきことをできずに後悔することがあるかもしれないが、それを忘れてはいけない。その経験は必ず人生で必要なときに自分の背中を押してくれるから」と励ます。

本作において助けられなかった母親、森に入っていくのが見えたのに追わなかった叔母の2つが真人にとっての「行動しなかった後悔」である。
母親に関しては正直どうしようもないが。
この「行動した結果の後悔」と「行動しなかった後悔」の2つが本作の大きな軸なのではないかと感じた。
真人は塔の世界の冒険の中で、生きていく中で発生する不条理を乗り越えた。
だからこの映画のエピローグにも吉野源三郎原作版と同様に次のような言葉が続くのかもしれない。
「真人君はこういう考えで生きてゆくようになりました。
そして長い長いお話も、ひとまずこれで終わりです。
そこで、最後に、みなさんにおたずねしたいと思います──。

君たちはどう生きるか。」
うるせえ、という感じだ。だからエピローグが入ってないんだろうけど。

【最後に】
音楽めちゃくちゃ良かったし、炎の演出カッコいいし、初日に無理して見にいって良かった。
先日スパイダーバースが公開されて、CGや表現の多様性に挑戦していたけれど、こういうジャパンアニメーションはスッと入ってきて表情ひとつとっても愛らしい。
私のイチオシは夜部屋を抜け出した真人が階段の下を覗き込むシーン。
ワンカット入る階下がひんやりと薄暗くてちょっぴり怖いのがお気に入り。
叔母と父のキスシーンを見ちゃってゆっくり部屋に帰る動きもリアルで良かった。
キャストや主題歌に今の日本のエンタメシーンを引っ張るアーティストがたくさん出ていて、「この映画ってこういう方々に向けて作られてるんかな〜」とぼんやり思った。
20代半ば、自分もたぶんターゲットなはずなのに全然伝わってなくてごめんね、宮崎監督…。
日本アニメ史に残る巨匠の大作が事前予告無しで公開!という一世一代の大イベントに乗っかれて幸せだった。
これを公開日に映画館で見られたことはこの時代に生まれた特権だから。
またいつか、見直したい。そのときは、今より響くかな。
えるどら

えるどら