いも

君たちはどう生きるかのいものネタバレレビュー・内容・結末

君たちはどう生きるか(2023年製作の映画)
4.7

このレビューはネタバレを含みます

よかった。何一つ情報を入れずに行った。
物語の意味は、殆ど理解できたと思う。意味不明、とかはなかった。
駿さんは巫で、降ろしてくる。それを最低限の説明で、駿の深層言語で語っている。この言語を理解できるかどうかで理解度が異なるだろう。
正直「理解度」というのも嫌だ。頭で表面的小利口に理解する類のものではない。これは「腑に落ちる」かどうか、の類だ。
昨晩見て以降、バックグラウンドで重めの情報処理をずっとしてる。腑に落ちた情報が深層意識に組み込まれていくのをずっと待ってる感覚。

巨石文明が描かれてたね。駿の作品には巨石が頻出する。もののけ姫サンの住処、ラピュタ底部の積石、ナウシカのシュワの墓所。
複雑な形の石をパズルのように積む事で地震に強い、恒久的に残る建築となる。古代エジプトの建築もそう。
なおこの建築方法は現在再現できない。ロストテクノロジーだ。私は旧世界の遺物だと考えてる。

トトロのサツキメイ父は縄文研究者だった。アシタカは大和朝廷に追いやられた蝦夷の一族。サンの住処は残された神の家。これらの共通項は「大和朝廷にやられた」。大和朝廷が先住民を侵略した、という告発が隠されながら含まれる。
そういう隠しアイコンだったものが、堂々とメイン張るようになったな、と感じた。

石と話す。大昔の人は実際やっていた、と私は考えている。かなり大真面目に。
石に心がある。石と話す。石を記憶媒体とする。石で通信する。精霊とも神様とも話す。いわゆるシャーマンですね。
人にそれをできる能力が備わっていたのだと思う。今はその能力は封じられている。我々はそういった能力を持っていた蝦夷の民を侵略支配した野蛮な大和の末裔。
因みに先住民の系統はアイヌや沖縄に残っている。
この話が気になる人、手塚治虫の「火の鳥」読むといいよ。治虫と駿は同じものが見えて、同じことを言いたがってる。

今までは、人にも理解できるように整えて外に出してきた。やっと他人の目を気にせず開放したな、駿。俺はそれでいいと思う。俺は分かるよ。

友人と少し話した。正直言語化するのも野暮な作品だが致し方ない。
人に遠慮してわかりやすくする気ゼロで、見えてるもの全て渾身の力で叩きつけた。ありがとう受け取った。これだわ。
ポカーンの人は、まあ仕方ないのよ。受け取れる人は受け取れる。そういう作品。
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わからない人がいるかもだから少し解釈を書くよ。

5次元世界、ここで起きたことが3次元で反映される。人間からしてみると神と精霊の国。上位存在。
3次元世界、第二次大戦中。下位存在。
川の上流と下流のようなものだ。上流から流れたものは下流に行き着く。

インコとペリカンは上位存在勢力の擬似的な姿。

インコ帝国、王に支配された川上流の上位存在の国。帝国主義。石の中で膨れ上がった奇っ怪なインコ軍団。
弾圧され隅に追いやられたペリカン達。ペリカンがワラワラを食う。
本来食べない筈のものを食わざるを得ない状態にさせられる。生態系を人為的に歪ませる。
創造者達の国がそもそも偏っていた。
だから下流3次元でも戦争やってる。反映。

あと重要なのはペリカンが子供(ワラワラ)を食う所だね。大人対子供の戦争が、既に始まっているのだ。
ミヒャエル・エンデの重要な指摘に「第三次世界大戦は時間の戦争」がある。
引用しよう。「私はもう第三次世界大戦は始まっていると思うのです。ただ私達はそれに気づかないだけです。なぜならこの戦争は従来のように領土を対象とする戦争ではなく、時間の戦争だからです。それは私達の子供や、子孫を破滅させる戦争です。」NHKアインシュタインロマン6 エンデの文明砂漠 ミヒャエル・エンデと文明論
因みにエンデも、駿・治虫と同じものが見えている。

さてインコ達と一線を画する鍵となる人々。
5にいる鍵となる人物は姿形を変え、3での役割を果たすべく生き死にする。ヒサコが特にそう。自覚的だし。

ナツコは無自覚気味だが、なんとなく己の役割を理解できている。石の間でもそのあり様を受け入れている。

マヒトは自覚しろとモジャ大叔父から迫られていた。マヒトだけは3の生を切り上げて、5での役割を果たせ、と迫られていたね。
これを達成するとモジャ大叔父と同じ神隠しルートになる。

3次元世界は駒の世界。キリコの家にお婆さん達の駒があったが、3での役割を成すというのは、この駒的動きをするということ。
将棋と同じ。5世界で打った将棋の内容が3に反映される。(=積み木)
でも駒は無力というわけではない。良いお守りと言われていたように、双方向的な動きもまだ残されている。
それはお婆さん達が「巨石が降ってきた」話を知っていて、不思議なことはあるもんだと理解し受け入れているから。人智ならざる神がいると。
川の下流から思念が立ち上れば、上流でそれを受け取ることができる。お婆さん達の下流と5の上流は一つの川として接続している。

(※これは仏教キリスト教イスラム教等とは一線を画する「神」の話。山、岩、森、川、海そのものが神。自然信仰。古代の先住民が手を繋いできたのがこれ。人より遥かに大きい自然存在が神。
千と千尋のハクは川の神。「よきかな」のお腐れ様も名のある川の主。
もののけ姫のモロ、乙事主、シシ神は山の神。
ナウシカの腐海は傷んだ地球を癒やす巨大な現象。)

翻って、父親の駒はない。これは父が近代産業(近代産業は神殺し。もののけ姫でやってたね。)に邁進する、言ってみれば現実的な人間だから。
不思議、即ち神を信じないから。それはつまり、自然神が彼の中にはいないから。科学的に証明できる世界しか、彼の中には存在しない。存在しないアドレスに思念(メール)を届けることはできない。
そこで思念は寸断される。3次元から出られることはない。上流から恵みを受け取ることができない。狭い価値観。

見事に大和的、支配的価値観ですわ。つーかこいつ、姉が死んだら顔そっくりな妹を籠絡するあたり…キモ!顔と家柄しか見てないんか…?怖!でもそういう奴、いる!
そらマヒトも戸惑うで…

ヒサコは火で死んだ。でも5にいる上位ヒサコは火は美しく好きだと言う。火は彼女の能力でもある。「火で死ぬのも素敵」。これは生死が等価値のため。
先住民の価値観だが、死は恐れるものではなかった。また魂が巡る事を知っていたから。3次元だけが世界ではない。死んだら霊界でまた会えるし、なんならこっちにいたりする。
ここはワラワラのシーンに通ずる。カワ(・o・)イイ!!
(類似作品として「ソウルフルワールド」を挙げとく)

死を恐怖と植え付けられたのは、霊と会話ができなくなって、死の世界が未知になったから。これも喪われた力に含まれる。
あと宗教のせい。恐怖があると、人は超〜支配し易い。使いやすい。脅せば奴隷にしやすい。
嘘八百で商売できる。キリスト教の免罪符売りつけ。南無妙法蓮華経、唱えるだけで幸せになれる!とかね。

積み木をぶった切った王、短気すぎて草。

踏んで割った積み木に触るな、という所…分かる…力の残滓あるよね。

ペリカンエリアの巨石の中にいたのは、死?そこがまだよくわかってないな。墓所とか言ってた?うろ覚え。「我を学ぶものは死ぬ」だっけ?
あの巨石はナツコの間にもいたね。同じ存在かな。子産みは結構死ぬ可能性高いしな。

忘れてしまうのは、そうだよね。ああ無常。本来人間が生まれる時、忘却の扉を通るらしいので。全部忘れてから、色々体験して自分の方向性を知る。あれがやりたい、これは嫌だ、という指向性から。
だから覚えてると選択が左右されてしまい、必要な寄り道ができない。だから忘れるルール。
だからアオサギが「ま、段々忘れるさ」と言う。

書き途中
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