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君たちはどう生きるかのkmtnのネタバレレビュー・内容・結末

君たちはどう生きるか(2023年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

作品のクオリティは衰え知らずで、イマジネーションも過去のパッチワーク的に見えなくもないが、やはり他のアニメ作家と比べても凄い。
改めて「ポスト宮崎駿」として名高い新海誠の作品が、特に近年の作品ほど、神教より以前の何かからインスパイアを受けているのに対して、宮崎駿は欧米のああいう世界観の文学・児童文学から生まれ出た作家なのだなと思わされた。
私自身、欧米のカルチャーへの憧憬が強い為、日本人として運命的に切り離さすことのできない土着的な側面と、それでいてどうしようもなく欧米圏の文化にも同時に惹かれてしまうアンビバレンツな感情から、宮崎駿という作家の世界観が「好きなんだな」と強く感じた。


ただストーリーは支離滅裂で、今敏のパプリカみたいだと思った。
パプリカは夢を見ている時の支離滅裂さも織り込んだ作品だから問題ないが、本作は特に支離滅裂にしたくてそうなった作品ではないはずだから、もうそこは広告代理店の干渉もない今、好き勝手にやった結果なのかなと。
一部では自伝的と指摘されているが、よくよく考えてみると、私は宮崎駿の生い立ちだとかは全く知らないなと。


ただ少し前に話題になった、村上春樹についてのnoteの記事があった。
2023年の春にウェズリー大学に村上春樹がやって来て講演会をした時の話。
その時、作品について多くの質問をされた村上春樹であったが、殆どの質問に対して「分からない」や「理由は特にない」と答えたという。
我々は兎に角理由を探したがる。
あれは何のメタファーなのか?や、何の意味があるのか。
昨今はインターネットで簡単に様々な画面に隠されたメタファー、事象が可視化されて、更にはご丁寧に説明がつけられる(勿論、その解説がいつも正しいとは限らない)

そう言う時代だからこそ、最近は意識的に謎を画面に配することに長けた映像作家が多い気がする。
例えばジョーダン・ピールの作品はどこを見ても何かしらの示唆に富んでいる。流石にあれが「何となく」ということはあり得ないだろう。恐らく全てに何かしらの意味を潜ませている。
それは映像だけではなく、音楽でもそうだし(例えばビヨンセの新作がそうだった)、ゲームでも多くのパロディや仕掛けが盛り沢山だ。
我々はそう言った作り手のヒントに大喜びをする。
一方で全てを解る必要がない。上記に挙げた作品群に共通することであるが、解るとより面白いが、解らなくても面白く(或いは感覚的に良いものだと)なる様に出来ている。
実は現代社会は無意味が駆逐されている(特にアメリカのトップクリエイターの作品ほどそう言う傾向にある気がする)。
どこにでも意味がある社会。
彼らはSNSで切り抜かれて、分析され、話題されることの意味を理解しているし、それこそが大きなバズになるのを本能ではなく、頭で知っている様に思える。
そう言う社会で、そう言うエンターテイメントに慣らされると、全ての作品がそうだと思い込みがちであるが、先に述べた村上春樹の話じゃないけれど、無意味なものだって間違いなく存在する。
感覚としか言いようのないもの。そういうものは現代にだってまだ残っている。


今作について、社会学者の古市憲寿が「すごくシンプルな分かりやすい話でした」と述べた(私は彼のことが好きではないけれど、ちょうど目についたので取り上げさせて頂いた)。
妻は観終わった後に「ファミリーツリーの話だ」と言った(確かに血脈については何度も言及される)。
私はもう少しこぢんまりとした話だと思った。「家族の話」だと。
まぁどちらにせよ、大まかなテーマは皆んなそんな風に捉えている。
分からない、理解できなかったと言われる今作であるが、実はテーマめいたものは皆んな(合っているから一旦置いておいても)、結構ちゃんと捉えている。
分からないのは、そこに行くまでのプロセスなのだ。
しかし、それに意味があるとは限らないし、村上春樹じゃないけれど、宮崎駿本人も本当に「分かっている」のだろうか?
そもそも解る必要があるのかもよくわからない。


私は観ていて、決して本作が面白いものだとは思わなかった。
なんなら支離滅裂だと感じたし、不思議の国のアリスみたいだ。
でもちゃんとテーマ(と思われるもの)は何となく解る。でもよく分からない。
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