作家性は大事。
興行に対抗する姿勢はありだとは思う。
そうなればあとは作品との距離感というか向き合い方、好き嫌いになるのかなとも思う。
何度も観てでも理解したい、あるいは媒体を買って折を見て作品に触れたいということになればそのようにするのかもしれない…絵画なら買うかどうか。
そうであれば私は買わないかな…買えないのかもしれないけど。
物語というか、世界観や思想、メッセージがありふれているのだけれど、二時間という限られた時間の中で視覚、聴覚、そのほかあらゆる感覚を総動員させても私には作品に対峙するところまで感性が至らなかった。
情報を抑えて観にくる人をかさ増しして。
それは結局興行ということなのかな。
興行無視の作品のクオリティ勝負なら投げ銭ぐらいの心意気もあったのかも。
投げ銭ならいくら払うだろなんて。
あの、子供心に感じた世界や自然の雄大で荘厳な世界観。終末思想や再生までも示唆するようで、子供心に訳も分からず圧倒された、心躍った作品たち。
私にとってはそういったものであって、アイデンティティや芸術性にはそこまで興味は持てなかった。
北野武作品から離れてしまった時の何とも言えない感覚を思い出した。
そういうもの映画に限らず音楽でもファッションでも確かにあることだし、成長か退化かは置いておいて仕方ないことかもしれない。