踝踵

君たちはどう生きるかの踝踵のネタバレレビュー・内容・結末

君たちはどう生きるか(2023年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

「感想を言えるもんなら言ってみろ」という現代を生きる人々への挑戦状なのでは、と思った。

やんわり物語の関係を理解できても、マジで意味不明だった。本当に情けない事に、意味が全く分からないのにただただ圧倒された。それでも思う事は沢山あって、気持ちが変わる前にメモしたい。もう一回見たら感想が変わるのだろうか。

こういうレビューもそうだが、本来は映画やアートへの感想なんて正解も不正解も無いから事前情報の収集や予習などせずに、自由に語って良いのである。それなのにいつの間にか正しく物語が理解できているとか、伏線に気づけているのかとか、実態の無い暗黙の了解が生まれたと思う。文脈の理解は不要だとは言わないが、何か窮屈になったと思う。そんな事を普段考えてしまっているからか、この映画は、正解ばかり求める世の中や人々に対して「そんなもの意味無いからただ感じたままに生きろよ」と語りかけているように感じた。他人の考察を読むことさえ意味があるのかどうかよく分からない。

原作を読んだことはあるけど、話はまっっったく別物である。唯一の共通項を挙げるとしたら主人公が正しいと信じた道を、自分で選択して進もうとしていることくらいではないだろうか?原作では主人公の名前はコペルだが、一度もそんな名前出てこない上に主人公は牧眞人という別人である。
眞人は母親を亡くし、父親の再婚相手、母の妹の家に引っ越し?疎開?することになる。妻の妹が再婚相手という、そんな大人のドロドロした人間関係に振り回されており眞人は心を閉ざす。確かに、あの年齢で父親と義理の母の性愛を感じさせるスキンシップを見たら塞ぎ込みたくもなる。そして心を閉ざしてから、被害者のふりをして自傷行為をし、上級国民の父親の権力が同級生にふりかかるように行動をするなど、悪意を持つ。
そんな悪意を持った眞人が一方的に嫌っていた義理の母を異世界から助けようとする。
跡継ぎになって欲しいと言われても義理の母を見捨てない事を貫いたことの正しさがこの映画の尊さなのだろうか?

果たして要約しようとしても意味あるのだろうか。これまではジブリの映画は考察の対象であり続けたけど、そんな考察厨を消し炭にするほど意味が分からなかった。分かったつもりで語ろうとする事のなんと愚かなことか。言語化しようと努めることの徒労たるや。そして言語化できたと満足することの虚しさよ。そんな事をぐるぐる考えていくうちにやはり、さっきの「感想を言えるもんなら言ってみろ」に立ち返る。

ジブリっぽさが良くも悪くも発揮されていて、若干既視感のある描写や造形が少し気になった。そういうのは「らしさ」でもあるんだけど、例えば火事に向かって走るシーンや義理の母が矢を放つシーンなど、異常にスピード感のある作画が新鮮だったので、余計に既視感のあるシーンが悪い方向に際立った印象がある。

これまでの娯楽はリアリティを持たせることや説得力を持たせることを優先させる風潮があったと思うが、今回の映画はその真逆で、一際トリッピーで夢の中の世界のようなふわふわした世界観だったと思う。セリフもちょっと夢の中の脈絡の無い会話みたいにふわふわしていたので衝撃的だった。

宮崎駿は少女が好き、みたいな逸話を耳にタコができるほど聞いてきたが、今回はバリエーション豊かな年上の女性が魅力的に描写されていたから意外だった。

昨日、某ニュース番組でこの映画が話題作として取り上げられた。前情報がほとんど無い中、コメンテーターが「面白いかどうか分からないから、他人の感想を聞いてからレンタルで見るか判断する」とコメントをしていた。おそらくそういう「作品を感性ではなく、情報で鑑賞する人」こそこの映画を見るといいのかなと思った
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