「君たち」とは、果たして誰のことだったのか?
超情報社会の現代で、公開までキャスト•内容一切の情報なし。
嫌でもネタバレが入ってくる環境の中で、ポスターと制作会社だけのインプットで映画を見始める体験は、今後起きえないんじゃなかろうか。
グリム童話を何冊も読んだような、不思議の国のアリスを一気読みしたような、長い夢を見ていたような、そんな読後感。
見ている時はスッと内容も入ってきていたはずなのに、終わってみると脈絡のない情報がどっと処理しきれないまま「これは何だったのか」と反芻する。
舞台は戦時中の日本。
主人公眞人が、疎開先の田舎で不思議なアオサギと出会い、塔のトンネル内の現実ではない世界へと誘われる。
随所に過去ジブリ作品を感じるシーンがある。
宮崎駿集大成としてのフィナーレなのだろうか?
例えば、千と千尋の神隠し。
「トンネルの向こう側は不思議な街でした」
まさしくこの作品でも塔のトンネルや回廊に続くトンネルなど、こちら側とあちら側を繋ぐモチーフとなっている。
ハウル的な扉も幾つか見られる。
ハウルの時は扉の行き先は4つ。
それでも羨ましいなぁと思った記憶があるが、今回は無限数の扉だ。
神隠しに遭ってしまった、と幼い子供を大人達が探し回る場面は幼い頃に家族と観たトトロを呼び起こさせる。
優しいことに、どちらの映画でも周囲総出で探してくれる。
宮崎作品ではないが、向こう側の世界での鳥の多さはまさに猫の恩返し。
鳥王国と言っても過言じゃない。
タイトルである「君たちはどう生きるか」
君たち、とは果たして誰のことなのか?
登場人物たちを指しているようには思えない。
トンネルの向こう側の世界は崩壊してしまった。千と千尋の世界では、トンネルの向こう側の世界はひっそりと、でもまだ確かにあのトンネルの先に残っていそうなのに。
この世界で最後に残るのは、カラフルなインコがうんこをしながら方々の空へと羽ばたいてゆく美しくも醜い現実のみ。
これまでずっと築き上げた虚構の世界を存分に示して、自ら壊して。
「私はこう生きた、君たちはどう生きるか」
そう問われている気がした。