なべ

君たちはどう生きるかのなべのレビュー・感想・評価

君たちはどう生きるか(2023年製作の映画)
5.0
 2、3日前、帰り道、いつものように池公園を横切る八つ橋を渡っていると、大きな鳥が頭のすぐ横をかすめていった。水面からちょこっと飛び出た岩にすいっと着水したのは時々出くわすアオサギだ(本当のアオサギはあんな鮮やかな青ではなくて灰色)。ニアミスを起こしておきながら何食わぬ顔でこちらを見つめてくるふてぶてしい奴。ムッとしながらもアオサギって夜も飛べるんだと変な昂りを感じていた。
 そういう出来事があったもんだから、始まって早々にアオサギが出てきたときは、お!おまえか?と声をあげそうになった。なんだか奇妙な縁を感じてね。

 ああ、なるほど、こういう映画だったか。事前に「事故に遭って気を失い、おかしな世界に迷い込む」程度の情報は得ていたが、思ってたより、ちゃんとストーリーがあった。
 出てくる登場人物もどこか他のジブリ作品で見たようなキャラクター。手塚治虫が異なる作品に登場させるスターキャラクターのようだ。眞人の孤高な佇まいなんて、アシタカが昭和に転生した感じだよね。
 ただ、ラピュタやナウシカのように明快な物語ではなく、ポニョみたく夢から得たインスピレーションをそのまま繋ぎ合わせたモザイク画のような雰囲気。パヤオ本人もわかってないんじゃないかと思える描写やセリフが多く、解釈し切れない謎めいた独特な味わいがある。黒澤明が晩年に撮った「夢」みたいなテイスト。でも、決して難解な感じはなく、パヤオの知見に基づく夢(と現実)のような話なのに、どこか知ってる手ざわりがあって、前出のアオサギのように、自分の過去の経験にどこかでリンクしている手応えがあった。つまり長く生きてる人はその経験が多い分、心当たりが多くて、特別な感傷に浸れるのだ。アオサギに出会ったことはなくとも、母を亡くした経験や火事を間近で見たこと、2階の板の間を歩くときの足音や、着物を着た女性の女らしい仕草など、知ってる人も多いでしょ。父親の再婚相手に付随する諸々の感情なんて捻れるような心の痛みを思い出す人もいるのでは。

 他人の私小説なのに観客の魂に触れてくる力強いきっかけが多々あり、理屈で説明できないながらもとても腑に落ちるお話だった。
 いつもはノイズになる少女や幼女に対する性的な目線は今回はなく、むしろ母親にそっくりな女性の所作や表情にエロスを感じるみたいな、健全な倒錯が描かれてて、パヤオも大人のすけべが描けるんじゃん!と初めて感心した(風立ちぬも少しあったけど、これはもっと際立ってた)。
 確かに母を少女にして登場させるあたりは出た!とは思ったが、その仕組みがおもしろかったので、今回はまあいいよと容認した。

 おもしろいかと聞かれたら、それは人によるという答えになってしまう。その人の過去の経験値が高ければおもしろいだろうし、低ければおもしろくないだろう。決めつけはよくないが、いろんな場所で、いろんな人と、いろんな出来事を通じて世界を構築してきた人にはたまらなく美味だが、主にネットで世界を構築してきた人(世代)には、パヤオが描く世界があまりにも突飛で現実離れしていて、訳がわからん!となるんだろう。
 昭和・平成・令和と同じ時代を生きてきた宮崎駿駿からこういう感慨をもらえるとは思ってもみなかったので、観終わったあと、感謝の念が湧いてくることに少し戸惑ってしまった。細田守の未来のミライを観た時にも同様の感動を覚えたが、本作の方がより深くより力強く喚起されてしまったからには、もう満点を付ける以外ない。
 年寄りには、君たちはどう生きるかというよりどう生きてきたかと問われているような2時間。わかることより、知っていることがこんなにおもしろく、こんなにも深く自分に向き合うことになろうとは。
 年齢的にもこれがパヤオの最後の作品になると思うが(短編ならまだ数本いけそう)、そういう意味でこれは彼の遺言なのだろう。大叔父の発言にこれまでの作品と、後継についての言及があったもんね。
 彼の魂の一部に触れて自分をおもしろく顧みられたのは意外な驚きであり、大きな収穫であった。

追記
 当時、妻を亡くしてその妹と再婚するのはとてもポピュラーなことだった(その逆もあった)。気持ち悪くもないし、鬼畜の所業でもなかったことは知っておいた方がいい。自分のちっぽけな価値観でそうでない価値観を否定するのは、誰かを傷つける可能性を孕んでいるのだと心に留めておいてほしい。本を読んだり映画を観たりして手に入れた異なる価値観は教養のひとつなのだから。これ、説教じゃなくて助言な。
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