LEO

君たちはどう生きるかのLEOのネタバレレビュー・内容・結末

君たちはどう生きるか(2023年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

太平洋戦争末期(おそらく)、空襲(おそらく)で母を亡くし父と疎開した牧眞人。
疎開先には母の妹夏子が待っていたが、彼女は既に父と再婚をしていてお腹には子供が宿っていた。
そんな受け入れ難い新生活の中で、眞人は大叔父が建てたという洋館を敷地の奥に発見する。
ある日、夏子が行方不明になったことで牧家は大騒ぎになるが、夏子が森に消えたのを見た眞人は人の言葉を話す謎のアオサギの誘いに導かれながら洋館に足を踏み入れるのだが、そこは異世界の入り口であり眞人は自分のルーツと触れあう冒険の旅に出るという話。

いやぁ、あらすじを落とし込むのが難しい!
観た人たちが皆「難解だった」「意味が分からん」というのも分かる。

いろいろな方のレビューを読ませていただいたが、なるほどなぁと思ったのは以下でした。
異世界を【スタジオジブリ】、異世界を司る大叔父様を【そこで閉じこもってしまった宮崎駿】、13個の積み木を【過去の宮崎駿作品】に例え、これまでスタジオジブリ【異世界】を支えてきたのは宮崎駿【大叔父様】であり、宮崎駿が送り出した13作品【13個の積み木】がこれまでジブリの経営を支えてきが、その経営は非常に脆く(積み木の危ういバランスがそれを表している)、宮崎駿の後継者は未だ見つからず、作品がコケればすぐにでもジブリは崩壊してしまう(積み木の崩壊とともに異世界も崩壊)。
そして異世界に登場する無数の鳥は【アニメーター】に例えられ、彼らはジブリの中では怖いものなしだが、ジブリから一歩外へ出れば、彼らはたちまち弱い立場に置かれる危うい存在だとも捉えられる。

なるほどね。
確かに設定のピースとしてはあり得るかもしれない。
でもこれはストーリーを表しているわけではないと思う。
自分の感想としては、今回宮崎監督は、上記も含む様々な自分の過去のピースに向き合い、単にインプロ的に作品を紡いでいっただけなのじゃないかなと感じてます。
「インプロビゼーション」、つまり「即興」「その場で創作する」という意味で思考と創作が同時に行われるということ。

吉野源三郎の原作小説には以下のような一説がある。
「コペルニクスのように、自分たちの地球が広い宇宙の中の天体の一つとして、その中を動いていると考えるか、それとも、自分たちの地球が宇宙の中心にどっかりと坐りこんでいると考えるか、この二つの考え方というものは、実は、天文学ばかりの事ではない。世の中とか、人生とかを考えるときにも、やっぱり、ついてまわることになるのだ。」

本作について宮崎監督はタイトルだけ拝借して内容は全くのオリジナルだと言っているそうだけど、実は自分はそこに納得。
宮崎監督が上記のような多角的視点で過去を振り返り、人生のそれぞれのシーンを「あれはこうだったかもしれない」「あの時ああしてたら」と考えてインプロ的に繋げていった作品。
だから明確なストーリーも深いテーマも何にもな~い!
それが本作なんじゃないかと思うわけです。
強いて挙げれば、黒澤監督の『夢』みたいな?
でもその分、それぞれのキャラクターがキャラクターとしてでなく、一人の人間として生き生きしている気がする。
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』のレビューで言った“見る演技”を眞人がしている。
メソッド演技を使いながらインプロをしてるんですよ。
そんなストーリー、あらすじに落とし込もうと思っても難しいに決まってるじゃん!w
ま、ご本人からは「全然違うわ!」と言われるかもしれんけどねww

まだ次回作があるんじゃないか?とかの声もあるようですが、自分としては宮崎駿の長編アニメーション映画としては本当に最後なんじゃないか感じました。
総括。

だから演出にしても、病院が火事でお母さんを助けに行こうとするのに一度飛び出すものの寝巻である事に気付いて着替えに戻るとか、駅に迎えに来た人力車(輪タク?)が夏子が降りる時とかカバンを積むときに重みで揺れるとか、家への石階段を上る時に若干幅広い石段では眞人が2歩使っているとか、弱っている眞人では閉められないけど大人の力では閉められる建付けの悪い窓があるとか、そういう細かい部分にいちいちニヤニヤしながら「ああ、いま宮﨑アニメを観てるんだなぁ」と、最近のジブリ作品にあまりなかったような心地よい感覚を感じられたんじゃないかなぁと。
宮崎アニメの真骨頂、出し惜しみないもんね。

正直今回は「嫌々」とまではいかないまでも「義務!」みたいな感覚で観に行ったけど、観に行って良かった
LEO

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