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君たちはどう生きるかのIri17のレビュー・感想・評価

君たちはどう生きるか(2023年製作の映画)
4.0
noteに書きましたので以下noteのコピペです

予告を一切打たないという前代未聞のマーケティング方式にも関わらず、公開初動4日間の興行収入は『千と千尋の神隠し』を超えるなど、大きな話題を呼びました。
その一方で、映画の評価は二極化しており、傑作だという意見と支離滅裂だという意見に分かれています。

本作は現代の日本の大作映画ではほとんど見られない作家主義が全面に押し出されていることや、脚本に説明が少なすぎることで、確かに現代日本映画としては異例なほどに難解です。困惑する人が多いのも納得で、僕自身も傑作だとまでは思っていません。

この映画は傑作だとは思いませんが、この映画が作られたこと、そのこと自体に意味があると思います。





以下、ネタバレがあります!お気をつけください!








宮﨑駿の映画はほぼ必ずと言っていいほど同じ構造で描かれています。
それが神曲の構造(上下の構造)です。
宮﨑作品はほぼ必ず、上から下へと落ちて、最後には這い上がるという構造になっています。

『風の谷のナウシカ』(1984)ではナウシカは物語中盤で腐海の森に墜落し、腐海が汚れた大地を浄化していることを知り、王蟲とクシャナを止めるために這い上がります。

『天空の城ラピュタ』(1986)ではパズーは鉱山の穴の奥深くに落ち、その後軍に拘束されてシータを離れ離れになってしまいます。パズーは一度穴に落ち、状況的にもどん底に落ちて、そこからラピュタへと冒険の旅に出るのです。

このどん底に落ち、そこからまた上へと這い上がっていくという構造は、木の穴の奥深くに落ちていく『となりのトトロ』(1988)、魔女のキキが空を飛ぶ力を失う『魔女の宅急便』(1989)、千尋が釜爺のいる地下に駆け下りたりハクとともにシャフトから転落したりする『千と千尋の神隠し』(2001)など多くの作品で見られる構造です。

宮﨑駿はルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』から影響を受けて、この構造を繰り返していることが、過去のインタビューからも明白ですが、『不思議の国のアリス』も基を辿れば、ダンテの『神曲』があります。

『神曲』は暗い森に迷い込んだダンテが、詩人ウェルギリウス、淑女ベアトリーチェらに導かれて、地獄、煉獄、天国を巡る叙事詩です。

宮﨑駿はこの『神曲』のスキーマを利用したビルドゥングスロマン(教養小説)を一貫して作り続けてきました。『君たちはどう生きるか』も同様に『神曲』の構造をもった映画です。

主人公は庭の塔に入り込み、その地下にある異世界へと引きづり込まれていきます。
ところが、この映画はこの構造だけでは理解できない部分も多いです。その理由は前述したように、説明が極端に少なすぎることと宮﨑駿が作家としての自分の人生を描いた作品だからです。

イタリアで最も偉大な映画監督フェデリコ・フェリーニ(1920〜1993)の代表作に『8 1/2(はっかにぶんのいち)』(1963)という映画があります。
フェリーニは『道』(1954)、『カリビアの夜』(1957)、『甘い生活』(1960)などで映画監督としての地位を確立しますが、次回作の構想に行き詰まり、悩んだ末に創作に苦悩している自分をそのまま映画にします。自身の8作目の作品であり、共同監督としての作品を1/2作と数えてタイトルを『8 1/2』としました。
この作品は後の多くの巨匠たちがベスト映画に挙げていて、映画の最高傑作の一つとも呼ばれています。

『8 1/2』は印象的なカットの連続ですが、中でも有名な風船によって上空に引き上げられるシーンと全く同じ構図のシーンが『君たちはどう生きるか』の中にもあり、このシーンがあることで『君たちはどう生きるか』は『8 1/2』的な映画であることが分かります。

このことから『君たちはどう生きるか』は宮﨑駿が作家としての自己を描いた作品として読み取ることができます。
塔に閉じこもり本を読みすぎて頭がおかしくなってしまったという大叔父はアニメ業界=塔に居座り続ける宮﨑駿自身であり、かつての自分のような眼差しを持った眞人を後継者として継がせようとします。

このことは大叔父が積んでいた石が13個であったことからも分かります。宮﨑駿がこれまで監督してきた作品は13作です。

眞人は若かりし頃の宮﨑駿自身であり、自分の中の怒りを石に込めて自傷的に世の中に向かっていく部分や母親と少女が同化して、それをある種のロマンス的な相手として描いている歪んだ女性観など、明らかに宮﨑駿的な人間として描かれています。

ロシアの映画監督アンドレイ・タルコフスキー(1932〜1986)は多くの映画で水と火の象徴性を数多く多用しました。『惑星ソラリス』(1972)『鏡』(1975)『ストーカー』(1979)『ノスタルジア』(1983)『サクリファイス』などの多くの名作映画において、水を命の源、形而上的に言えば神として描いており、火を情熱や感情、希望として描いています。

宮﨑駿はかつてからタルコフスキーに大きな影響を受けています。海そのものを生き物のように描いた『崖の上のポニョ』(2008)は、まさに複雑な思考回路を持つ海に覆われた惑星ソラリスのオマージュであると言えます。

『君たちはどう生きるか』においても、火と水は重要な意味を持っています。
眞人が母親を失ったきっかけは空襲による病院の火事でした。これは人間
が持つ憎しみや攻撃衝動などの感情の象徴です。そして塔の下の世界には広大な海が広がっており、これは世界そのものとして考えられます。まさにタルコフスキー的な世界観であり、宮﨑駿がかつてから描いてきたものです。
母親が火の少女として描かれることを通して、火=感情もなくてはならないものとして描かれています。

作中で眞人が選択を迫られるシーンが数多くあります。
これは宮﨑駿の苦悩であるのと同様に、観客に「君たちはどう生きるのか」と問いかける映画と言えます。

宮﨑駿の弟子、庵野秀明の映画『シン・ゴジラ』(2016)に登場するゴジラと深い関わりを持つ謎の人物、牧博士は手記にこう残しています。
「私は好きにした 君らも好きにしろ」
『君たちはどう生きるか』もまさに「私は好きにした 君らも好きにしろ」という映画だったと思います。

大叔父の後継者になり世界を守れという願いを拒否し、この愚かな世界で生きていくと宣言します。
これは漫画版『風の谷のナウシカ』のラストでナウシカが苦しみと死と汚濁と共に生きることを選び、人類を殺戮するシーンを思い起こします。

『君たちはどう生きるか』はただ作品という石を積み重ねてきた宮﨑駿が、自分の真似事ではなく前へ進めというメッセージだと思います。
本作は画に勢いがなく、シーンとシーンのつながりが希薄でついていけないという部分があり、正直大傑作だとは思いません。しかし宮﨑駿監督の集大成と言える極めて重要な作品だと思います。
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