Hiroki

君たちはどう生きるかのHirokiのレビュー・感想・評価

君たちはどう生きるか(2023年製作の映画)
4.4
公開から1か月以上が経ち超厳戒態勢のネタバレ禁止網もそろそろ緩和されてきたかなーという事でレビューいきます!

興収的には7週目で約74億円。
2023年公開作で第3位。(今年も安定のトップ3はアニメ作品に...)
初週は宮崎駿作品でも2番目の好スタート(約21億円。但し祝日含め4日間。)でしたが、内容的に夏休みのファミリー層には届かず失速。
最終的な着地も『千と千尋の神隠し』や『もののけ姫』などエンタメ性の強い上位陣はまだしも、10年前の前作であまりにも大人すぎると当時物議を醸した『風立ちぬ』の約120億円も厳しい様子。
スラムダンク並みのロングランになっても100億超えがどうかという線ですかねー。
まープロデューサーの鈴木敏夫は「この内容で50億円いけば十分」と考えていたようだけど。
しかし鈴木敏夫いわく制作費は「過去の邦画で1番」らしく、過去作品では技術開発費込みでFFの約160億円が最高と言われているので、おそらく100億くらいはかかっているのでは...
それで50億円で充分とは太っ腹というか...
最後に宮崎駿に好きにやらせたいという感じでしょうか。

スタッフも音楽監督の久石譲はもちろん、作画監督にエヴァシリーズの本多雄、美術監督に『サマーウォーズ』の武重洋二、撮影監督にシン・エヴァの奥井敦、編集に『パプリカ』の瀬山武司、音響演出に『THE FIRST SLAM DUNK』の笠松広司、アフレコ演出に『犬王』音響監督の木村絵理子、助監督に『進撃の巨人』絵コンテの片山一良。
さらに原画には米林宏昌、高坂希太郎、安藤雅司、山下明彦、近藤勝也、まさに現代日本アニメオールスターズ。(個人的には以前宮崎駿との方向性の違いでジブリを離れた安藤雅司の参加にはグッときた。)
しかし宮崎駿の戦友で「ジブリの色を全て決めていた」と言われる色彩設計の保田道世のクレジットがないのが悔やまれる...(保田さんは2016年に死去。)

ネットとかレビューサイトを見ているとけっこう「2,000円も払ってまで宮崎駿の説教聞きたくない」という意見を目にするのだけど、私は聞きたい派なんですよ。
お寺に言ってお坊さんの説教を聴くかの如く、宮崎駿の映画を観るのって宮崎駿の説教を聴きにいってるも同然です。
なので「いやいや」と思った方はここから先は読まない事をオススメします。

まーでもとにかくわかりづらい事は間違いない。
でもその“わかりづらさ”こそが宮崎駿がついに解き放たれた証拠なのだと思う。
あの宮崎駿ですら、自分のクリエイティブに制限をかけていた。
観客にわかりやすいように咀嚼して食べさせてくれていた。
多少のわかりづらさ(自身のクリエイティブ)を残しつつも、結果的には私たちが安心して「楽しかったね」って思えるように変化させていた。
今回ついにそれを取り払ったように思えた。

内容的にはいろいろな作品からのオマージュ(自身のセルフオマージュも含む)を含みながら、様々な比喩表現が盛り込まれていた。
本人はジョン・コナリー『失われたものたちの本』を参考にしていると話していた。
下の世界のシークエンスはギリシア神話オルフェウス物語をオマージュしながら、アニメ業界(特にスタジオジブリ)を表している。
そもそも上の世界と下の世界において絵のタッチを変えている事が象徴的ではあるが。

ここで珍しくちょっと比喩表現の予想なんかをまとめてみたりしてみます。あくまで私が思った想像です。


眞人は“宮崎駿自身(かつての)”=空襲で母を失い、吉野源三郎『君たちはどう生きるか』に感銘を受けた少年。

アオサギは“盟友・高畑勲”=悪意を持って近づいてきて耳触りの良い言葉で下の世界へと誘うが、なんだか良いパートナーそして友人へと変化していく。

インコ大王は“鈴木敏夫”=に代表される映画プロデューサーで作品(クリエイティブ)についてわけもわからずあれこれ口を出して台無しにしてしまう。禁忌などをもちいてとにかく制約をつくって下の世界を支配している。

ペリカンたちは“共に働いてきたアニメーターやスタッフたち”=戦い続けてきたがその先に未来はなく敗れ去っていった。ご先祖様(昔の先人たち)がいる場所はまさに天国だった。

ヒミは“自分自身の母親”=小さい頃から寝たきりだった。自分の母親になれて良かったはずと思いたいという願望の現れ。

大叔父は“宮崎駿自身(現在の)”=頭がよく本を読みすぎて変になってしまい下の世界に引き篭もる。

昔々空から落ちてきた隕石は“アニメーション(旧時代の)”=塔(隕石)は大叔父が建てたという噂があるが実際は空から落ちてきたものだった→アニメーションは結局自分が作っているようで過去からの模倣でしかない。
隕石を塔で囲おうとしたが何度も失敗した→隠そうとしてもそれは明るみに。

積み木は“アニメーション(特に宮崎作品)”=積み木は悪意のある墓石。
積み木を足す事ができるのは眞人だけ→宮崎駿の後継者でありかつての自分→業界を背負っていく存在=ループ構造。

13個の石を3日に1つずつ積み上げる=カリオストロから今作まで短編を含めると13作目。映画を作るのには通常3年程度かかる。


大叔父は悪意に染まっていない積み木を足すことで下の世界を平和な場所にできると言ったが、眞人は自分に悪意があることは認めて上の世界へ帰った。
ここは漫画版の『風の谷のナウシカ』の終盤、ナウシカと墓所の主の会話のセルフオマージュ。(ちなみに主題歌を歌っている米津玄師はこのシーンが自身のクリエイティブに大きな影響を与えていると話していた。)
あらゆるものには光と闇の両面があり、アニメーションを含めたフィクションの根元は善だけではなく悪も含めた人間そのものを描く事にこそある。

そして結局宮崎駿が言いたかった事はラストシーンに集約される。
上の世界に帰ってきた眞人はアオサギからこんな事を言われる。
「下の世界を覚えているのか?みんな忘れるから忘れた方が良い。
(キリコの人形は)強力なお守りだ。
(そこらへんの石は)たいした力はないからじきに忘れる。」
つまりアニメの世界なんて忘れたほうが良い。みんないつか忘れていくのだから。
そしてその時得たモノ、経験だったり技術だったり称号だったり(観客側からするとその時の感動や驚嘆や慟哭などの感情や知識)にはたいした力は無い。
でもその時に得た仲間や友人(観客側からすると一緒にそれを分かち合って、それについて語り合った人たち)は強力な力になってくれる。
実際に眞人は下の世界で大叔父に「ヒミやキリコやアオサギのような友達を作る」と宣言していた。

たったこれだけの事を言うための120分だった。
でも自らが全てを捧げてきたアニメーションの世界やアニメ自体をたいした事は無いから忘れた方が良いと言い放ち、そんなことより大事なのは一緒にいる人だよと語りかける宮崎駿の凄さをまざまざと感じてしまった。
涙が止まらない。

先日アメリカプロバスケットリーグNBAで歴代No.1の勝利数を誇るグレッグ・ポポビッチがバスケ殿堂入りの表彰式スピーチでこんな事を話していた。
「ひとつだけ言いたい事は、勝ち負けなんてくだらないって事だ。
その場での勝敗はいずれ風化していく幻想みたいなものなんだ。
でも家族、選手たちやスタッフたち仲間との関係はずっと消えない。」

アニメーションとバスケという全く別の分野で命を削ってその道を極め、結果を残し続けてきた2人のレジェンドが晩年になって人生を振り返った時に思った事は全く同じ事だった。
私にはこれが偶然だとはとても思えない。

あと最後に映像は本当に異次元。
おそらく2Dアニメでこれ以上の映像はもー生まれないかもしれない。

たくさんの素晴らしいシーンや名セリフを残してくれた宮崎駿。
おそらくこれが最後の作品。(一応まだ道は閉ざされていなく、トトロの続編は作ってみたいとパンフレットの覚書には記載がある...)
本当に様々な感情や想いを教えてもらった。
感謝。
もしもまた新作が撮られる奇跡があれば、その時は...

2023-53
Hiroki

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