ハルノヒノヨル

君たちはどう生きるかのハルノヒノヨルのネタバレレビュー・内容・結末

君たちはどう生きるか(2023年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

『自分たちがこれまで観ていたのは宮崎駿の上澄みだ』
そんな言説をSNSで目にした。
なるほど、と納得した。
シンプルに冒険活劇といった評も聞いた。たしかにそうだろう。
思えばずっとそうだったが、彼はいつも境界が明瞭な二つの世界を描いている。
光と影。昼と夜。生と死。西と東。自然と人工。日常と非日常。人間と怪物。侵略者と非侵略者。男と女。大人と子供。自分と他人。
くっきりと線引きできる二つの世界がある。その混じりあったところを、彼はずっと描いてきたのだ。
二つの世界は重なるところがあっても、けっして完全には交わらない。
私たちは映画を観ている一瞬の間だけ、境界の上に立って二つの世界を眺めている。
そのことを、急に意識した。

九月に愛犬が死んだ。十五才だった。
ぽっかりと空いてしまった時間で、東京開催終了間際のテート美術館展に向かった。
そこには、人類が文化を生み出すようになる以前から触れてきた光と、闇・影があった。
ジョセフ・ライト・オブ・ダービー『噴火するヴェスヴィオ山とナポリ湾の島々を臨む眺め』
ジョン・コンスタブル『ハリッジ灯台』
ジョン・ブレット『ドーセットシャーの崖から見るイギリス海峡』
ジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー『ペールオレンジと緑の黄昏─バルパライソ』
ブルース・ナウマン『鏡と白色光の廊下』
映画を観ながら、私はこれらを思い出していた。
この映画では、これまで描かれていなかった二つの世界が示された。
自分の表層と深奥、すなわち人間・宮崎駿だ。
ひとは、どうしたって表面をとりつくろう。他人にはすべてを見せないし踏み込ませない。
他人には見せることのない醜悪な内側を人間は持っている。
それを、齢八十の老境に至ってはじめて表にさらけ出した。
境界の鮮やかな影があった。
それは、私が勝手に弟子筋と捉えている庵野秀明が四半世紀をかけて露出してきたものと同じかもしれない。
このテーマは重たく、ひとを惹きつけてやまない。ソクラテスの頃から、人類史で長く取り上げられてきたテーマだ。
だからこそ、長い時間をかけて向き合い続ける作品もあるのだろう。
神は「光あれ」と言われた。
神は光と闇を分けられたけれど、そもそも闇があったからこそ光は意味を持ち闇が形を持つ。
宮崎駿は闇を分けた。
それで私たちは、これまでずっと彼の光のあたるところばかりを見せられてきたのだと思い知った。
まるでコペルニクス的転回だ。
天地が引っくり返ってしまった。
狡猾で、醜くて、美しくて、いとおしい。

犬は、米津玄師の『地球儀』が好きで、流していると落ち着いて寝てくれた。
犬を寝かしつけながら、ずっと、私じゃない誰かの歌のように聞いていた。
犬は、眠り続けたままになった。彼女が好きだった歌がテーマソングになっている映画を観たいと思った。
三度機会を失って、やっと見ることができたとき、公開から三か月も経っていた。
『地球儀』は自分事の歌になった。
観に行ってよかったと思う。
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