よこた

君たちはどう生きるかのよこたのレビュー・感想・評価

君たちはどう生きるか(2023年製作の映画)
5.0
点数とかじゃないけど、とりあえず満点にさせてほしい。この映画を観られてほんとうに嬉しかったので嬉しかったことを書きます。物語がすきだけれども、ほんとうはもしかしたら物語が欲しいんじゃなくて別の世界が欲しくて、だけど別の世界はこのアニメのなかにあったから、びっくりしたし、ほんとうに嬉しかった。

これはもちろん超個人的な受け取り方なんだけれども、ぼくらが日常の中で知覚できるのは、ぼくらが生きているこの世界だけだけど、でも、この世界ははたまたまぼくらが「生きている」と呼んでいる状態のときに知覚できる世界なだけで(この世界のぼくらには「誕生」とか「死」と呼ばれる前後のことを知覚できる器官(この表現はポール・オースターの受け売りだ)がないだけで)、ほかにもたくさん世界はあるのだ。で、この映画はぼくらが見ている世界と別の世界を見せてくれた、と思った。いま、ここだけ、の世界はつらいが、ほんとうはそうじゃない(スピってないです)。そんなわけで、涙が出た。ありがとう宮崎駿さん。

ほかの世界が必要なひと、ほかの世界が必要な時期がある人はこの世にいると思う(てか個人的には多分いっぱいいると思っていて、てか、ぼくはめっちゃほしいっていうだけの話かもしれない)。それで、真人は戦争とかお母さんを失ったこととか新しいお母さんとか新しい環境に馴染めなくてほかの世界が必要だった。それで、あの塔からあの世界に行けたのだと思った。

河合隼雄さんの「この世界は魂だけで生きようとするとどうも無理がある」(小川洋子・河合隼雄『生きるとは、自分の物語をつくること』)というような言葉を思い出しながら観ていた、この世界以外の方がうまく息が吸える魂だって多分いっぱいあるのだろう。

そういうふうにぼんやり思って観ていたのですが、さいごヒミが眞人と違う別の世界にいくところで、「眞人を産めるんだから!」と自分が火事で死ぬ世界に戻ろうとする、そして眞人を「いい子だ」と言って抱きしめる、あそこで涙ツーになったのだけど、そのシーンを見て、ああ、ヒミはどの世界でもつよく生きられる人なんだ。と思った。

そのあたりを考えていると、勝手ながら、登場人物を以下のようにわたしは受け止めた。眞人は人生のある時期では別の世界が必要だった人間(でも別の世界で色んな経験をすることで元の世界でも生きられる力を得られる/取り戻せる人間)。夏子さんも別の世界が必要だった人間(妊娠や、眞人とうまくやれないことなどがきっかけだろうか、眞人がいなければ元の世界に戻るにはもっと時間がかかったり、戻れなかったかもしれない。元の世界での強さというか、元の世界に耐えるための強度は眞人より低かったのかなと受け止めた。眞人も夏子のことを「行きたくて(森の方=別の世界)行ったんじゃないと思う」と言っていた)。ヒミは別の世界か必要だったわけではないけれど元の世界で「死んで」しまったら、別の世界でいきいきと生きれる上にまた死んでしまうとわかっている世界でも生きる覚悟がある人間で、アオサギが「あのひとは強い」と言っていたのはそういう意味も勝手に感じた。キリコさんも別に別の世界は必要なかったのかもしれないけど(でも若いキリコさんには別の世界が必要だったのかも、とは思った)、でも別の世界を知覚できる人間(キリコ含め、おばあちゃん集団のことをそう受け取った。「この屋敷は変なことが起こりますから」というのを粛々と認めているから)。それから、お父さんは別の世界を必要としないし知覚もできないのかもしれないと思った。正反対に、大叔父さんは元の世界ではどうしても生きられなかった人間、だからあの世界から戻ってくることはなかったし、あそこでしか生きられなかった。それから、アオサギは特別な、世界を跨げる存在、そして元の世界では眞人の敵だったけれど別の世界では友だちになれる存在。

それで、だけれども、この映画を観たぼくはとりあえず「この世界」で生き続けることになる。君たちは(この世界で)どう生きるか。ぼくは吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』を読んでいないけれど、勝手にこの映画をこういうふうに受け取った。それで、大げさに言えば、けっこう救われた。

眞人は別の世界で元の世界を受け止めるためのエネルギーをつけた/取り戻したのだと思う、感情も出せるようになったし、夏子を夏子母さんと呼んで家族と認められるようになった。個人的にはこれがいいとかわるいとかはないと思うが、でも眞人は別の世界があったからこそ、元の世界で生きていく力を得られた。これができなかったら眞人は辛かったと思う。これを自分に引きつけて観ると、別の世界がないのはほんとうに辛い、だから物語をいつも求めている。それを、この映画は見せてくれた。別の世界そのものを見せてくれた。ほんとうに、びっくりしたし、嬉しかった。ほんとうに嬉しかった。嬉しかったのだ。結局、今、今のところ、ぼくが知覚できるのは、生きられるのはこの世界だけなのはこの映画を観ても変わらない。この世界で生きなければならない。でも、それでも。

ほんとうに蛇足だし、書かずに終わるべきなんだけど、眞人のお父さんみたいな人間もまたこの世にはたくさんいて、その人たちはこの映画は必要ないのだろう。別の世界は必要ないんだから。

平和なんかひとりの馬鹿がぶっ壊す。これはYO-KINGが歌っていること。インコの王様が積み木を崩した時、この歌が頭に流れていた。おい人間、もう終わりか!
よこた

よこた