netfilms

ゴジラxコング 新たなる帝国のnetfilmsのレビュー・感想・評価

3.8
 例えば山崎貴の『ゴジラ-1.0』や庵野秀明の『シン・ゴジラ』のおそらく数倍の製作費がじゃんじゃん投入された作品だし、もしかしたら日本のゴジラ・シリーズとはゼロが1つ違うスケール感かもしれないが、鑑賞後の体感としては豪華な映画だけど大味であまり中身がない印象に映る。モンスター・ヴァース・シリーズの1作となった今作は決して悪くはない映画だし、極めてアメコミ映画に感覚が近いのだが、ゴジラ・ファンからすれば物足りない。その一番の理由はゴジラがほとんど物語に絡んでくることがないこと。つまりゴジラがキングコングの添え物になっていること。それに尽きる。キングコングとスーコという小猿のエピソードは、ジェスチャーで互いの感情を伝え合う非言語的なコミュニケーションなのだが、動物の擬人化は一歩間違えば単なるコントにもなり兼ねない危険性を孕んでいるなと今作を観て改めて感じた。どのみちキングコングとゴジラは出会う(共闘する)しか方法がないのだから、すぐに出会ってしまえば良いものを何か地上の世界と地下の世界という二層構造の中に幽閉し、古代文明のDNAとか何とか言われ、聾唖の少女の閃きに導かれるように怪獣たちが出会ってしまうとすれば、結局は人間中心主義であって今作が描きたかった弱肉強食のモンスター・ヴァースの世界とは何もかもが違うのではないか?

 つまり極めてレッスル・マニア的な怪獣プロレスへと雪崩れ込む大味な展開に、壮大な人々の世界線での物語などほとんど不要で、聾唖の少女がキングコングを心配そうな瞳で見つめるショットを延々繰り返すアメリカ版スタッフの趣味の悪い展開が私には合理的に理解出来ない。そもそもざっくり言ってもキャラクターたちの寸借はこれで良いのか?とシリーズを観ていつも思う。何でもメガ化すれば良いという安直な話ではないだろう。アメリカ版シリーズのゴジラは世界中で孤独で、キングコングという親友を見つけたならば、彼の世界線にいっちょ噛みすれば良いものをシリーズごとに新作が出る度に初期設定にリセットされる辺りでは単純に意味がない。中盤以降、聾唖の少女が原住民の女王とのシスターフッド的な連帯で、いきなり小美人ギミックにトレースされるのも唖然としたし、モスラの登場シーンにザ・ピーナッツがいない世界線が公式にデフォルトになる気味の悪い展開には率直に言って肝を冷やした。確かにVFXの進化系のようなビジュアルはIMAX版で体感すればする程、素晴らしい映像美なのだが、ここまで書き足してしまえば実写映画だと言ってもアニメーションとさほど変わらない。巨額を投資すれば投資するほど良いものが作れるといういわばエンターテイメントの勝利の見本市のような映画で、アメコミ映画好きには刺さる怪獣プロレスなのだが、あらかじめ決められた怪獣プロレスに向かうまでの脚本があまりにも粗く、日本人の心に迫る様なもう一押し何かが足りない。製作陣にはおそらく、芹沢博士とオッペンハイマーの世界線がまったく考慮されていない。
netfilms

netfilms