Torichock

ゴジラxコング 新たなる帝国のTorichockのレビュー・感想・評価

4.2
【なんかもうめんどくせぇ】

「バカ」という言葉は悪口だ。
しかし同時に、「バカ」は褒め言葉にも変わる。
判断基準の線引きは人それぞれだと思うが、私は「バカ」と呼ばれるのは悪い気はしない。
なぜなら「バカ」は頭の悪い人にはなかなかなれない側面もあるからだ。
ましてやエンターテイメントに関しては、100点満点の基準値は人それぞれだったりするわけで「バカ」であることが100点の時もある。

よく映画で、「何も考えずに楽しめる作品」「脳みそ空っぽして楽しむ作品」という言われ方をする作品が存在するが、私はそのような類の作品に結構マジで尊敬の念を持っている。
受け手が「何も考えずに楽しい」って感じると言うことはつまり、『ん?」というのを抱かせていないということだからだ。それはある意味、緻密に計算されていることの証明にもなるのではないか。
一部のダメ娯楽作品に対して映画好きの人が重箱の隅を突くと必ず、「何も考えずに楽しめばいい」と説教じみた口撃を食らった経験があるかと思うが、それは作り手が「何も考えさせない」ことができていない作品なのだから仕方ない。

「お前らが忖度する作品も大概ツッコミどころだらけじゃねぇか!」と総ツッコミを喰らいそうだが、100個ツッコミどころあろうが、気にならないほどの勢い・気にならないほどの熱量・気にならないほどバカな作品なら、それはもう優勝なのだ。

「そんなのお前の価値観・匙加減だろ!」

はいはい、そうですねーそいつはすげぇや
わたしは幼稚園の砂場で芸術性を語るようなさもしい人間にはなるべきではない、と考える。
そして、これは声を大にして言いたい。

知らんがな!!!

【永遠人間不安感】

2016年以降はアカデミー賞を基本的に茶番だと思ってる私だが、今年のアカデミー賞も色々揉めてましたねー、アジア人差別がどうとかなんとか。Disneyもポリコレに配慮しすぎたとか言いやがって、今まで出演してもらった黒人俳優たちを盛大に梯子外したり。

どうせ今作も「こんなのゴジラじゃない、ゴジラとは核の脅威が・・・」って言い出す人はたくさんいるはず。
うるせーな、あなたたちの大好きな「ゴジラ -1.0」だって怪獣と零戦作りたかっただけだろ。
なによりゴジラで100満点取っても、あのクソみたいな人間ドラマで-50点だから50点だよ。

というわけで・・・わたし個人の今のマインドは、
「あーーーーもう映画で人間なんか見たくねぇな、毎日死ぬほど見てるし、映画ぐらい開放してくれ、人間ドラマなんてどうだってええわ、もうどの色の人間だって見たくもねぇわ」
という気分だった。
多様性なんか知ったことか、何もかも一旦暴力的に忘れさせられたい!
と思いはじめてしまった時の「ゴジラXコング 新たなる帝国」は、頭をハンマーでぶん殴られるような爽快感だった。
「人間のコミュニケーションなんか小鉢で出しときゃいいんだわ、それより怪獣をたくさん出そうぜ、Yeah!!!」という姿勢はめちゃくちゃ気持ちよかった。
なんと本作観る前日に、真面目な顔して「オッペンハイマー」を観に行ったのだが、本作を見終わったあとの晴れやかさはレベチだった。

ゴジラの核がどうだとか言いたいマンスプおじさんたちは、永遠と「オッペンハイマー」とやりあっててくださいや。

【言葉を必要としないコミュニケーション】

そもそも本作は、レジェンダリーシリーズ・ゴジラの中でもとてもドラマもスマートだ。

コングっ子でありモスラっ子でもあるジアは、作中では唯一コングとコミュニケーションを取れる存在であり、人間社会においては聴覚障害を持っているため手話を通してのコミュニケーションを取る。彼女は置かれた境遇だけではなく、コミュニケーションにおいても常に自分の居場所を探している。
一方本作の怪獣たちは、もちろんセリフこそないが表情が豊かで、自分たちの感情を雄弁に語る。
この作品には、そんな言葉を必要としないコミュニケーションが存在している。

ケツの穴を見せ合い・押し付け合う場として著名な諸悪の根源、恐怖の社交場「X(旧Twitter)」では、同じ言語を使ってる関わらず、全くと言っていいほどコミュニケーションを取れない人間で溢れかえっていてすごい、それぞれのドグマをぶつけ合う地獄を覗き見できる点でとても面白い。

本作を振り返ると、コング先輩が常に誰かとコミュニケーションを取ろうとしている。
それはコングっ子ジアだけではなく、地下空洞でで出会った同族のグレイト・エイプたちと邂逅した際もそうだ。最初は攻撃を喰らったが、コング先輩はなんとかコミュニケーションを取ろうとしていたし、結果的に半ば力関係もあったが、スーコという小僧を引き連れる形になった。
それは、スカーキング(以下スカキン先輩)が恐怖で支配したグレイト・エイプとの関係性とは大きく違う。

スカキン先輩とシーモちゃんのタッグ攻撃で敗戦し、「これはおいらも、いつもはいがみ合ってるゴジラの野郎を、ちょいと地下の世界に連れてくるか」と試みようとする時も、
ゴジラに対して「ちょっと待っ・・・」な顔していた。
お互いの攻撃に対してサムズアップするかのように、「ニヤッ」とするシーンもあった。

私たちは言葉というツールが便利になり過ぎてしまった結果、言葉を持たない怪獣にコミュニケーションの何たるかを教わったのだ、しかも恐ろしく偏差値の低いこの映画に。

【偏差値の低さ=ダメ映画】ではない

どれだけこの作品の偏差値が低いかを以下箇条書きにしてまとめる。しかし、これらがすなわちダメな点というわけではない。
なぜなら、文面で書くと「アホか!」と思える内容でも、それをビジュアルとして見せることに成功しているから。そして、見たことない画を熱量で形にした時点で、小賢しく狡猾に怪獣を「バカ」をしながら利用しようとしたアホどもとは一線を画すのだ、お前のことだぞ三木聡。

・コング先輩、朝シャンした後虫歯に気付いて、差し歯を入れてもらう

・コング先輩、スカキン先輩に「コイツ、差し歯してんでww」と馬鹿にされる

・コング先輩、インフィニティガントレット気にいるor気に入らないどっちなんだい⁉︎気に入ーーーーーーーーーーーーる!!※筋肉ルーレット

・ゴジラさん、コング先輩をピラミッドのトップから雪崩式ブレーンバスター

・モスラ姉さん、鬼越えトマホークよろしく兄弟喧嘩を止める

・シーモちゃん、ゴジラさんにお空を見せてもらってキュンです

この文章を打ちながら、想像してみた。
もし映画を見る前にこれらのシーンを想像しろ!と言われたら、自分の頭ではどんな画を思い描くんだろうか?と。
いやいや、無理無理無理無理ぽ。

コング先輩の件なんて、わたしの敬愛するジャルジャルのコントでも見れそうな生活系のネタじゃないか。でも私たちはこれを、はお金と時間を渡せば観ることができるのだ、ハリウッドの激アツで最高な技術と愛情の濃縮100%なバカたちの手によって。

翻って考えてみるのも良いかもしれない。

わたしにとって、近年の【国内ゴジラ=評価高い】みたいな風潮は、ゴジラを人間社会の畏怖として、あるいは矜持としての立ち位置に置き続け、自分たちの思惑ややりたいことに利用し続けてるようにしか思えない。
(政府批判したい、零戦使いたいみたいな)

自分が小さい頃ワクワクした「ゴジラvsスペースゴジラ」のような、怪獣と怪獣のぶつかり合いを素直に楽しみたい。
怪獣映画を大人たちのマスターベーションから、子供たちのワクワクに返してあげて欲しい。

わたしは本気で面白いと信じてるバカ映画を応援します。
Torichock

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