鹿伏

アイスクリームフィーバーの鹿伏のレビュー・感想・評価

アイスクリームフィーバー(2023年製作の映画)
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やっぱり許せないわ
川上未映子の原案じゃなかったら、もしもフラットな気持ちで観られたとしたら、ア〜90sのリバイバルムーブメントもきてるし、この方向性のサブカルチャーが好きな世代に話題にしてもらってそれを機に新しい都会のポップカルチャーを興していきたいだろうな、正直ぜんぜん感性に合わないところばっかりだけどたぶんターゲット層が10-20代前半だろうから私がそことはズレてるだけ、でもこのタイミングで観られてよかったな〜〜ってなると思う、川上未映子の原案じゃなければの話

れもんらいふの代表が今まで培った人脈を総動員して、自分が育ってきた空気感を再現したいという熱量はわかった。初めての監督だしいわゆる映画作法じゃなくてエモーショナルに、刹那的に作ってみたかったのもわかった。そのカッテング的な映像編集も、エモいから以外で採用したとは思えない角Rがついたスクエア画面も、MV的で違和感を与えるのに効いてこない音響演出も、ノットフォーミーってことで理解してる。その輪の中に川上未映子もいて、未映子も同世代で新しいことを始める代表をリスペクトして原作を貸し与えたのもわかった、でも本当に勝手ながら、未映子がそういう、れもんらいふの代表が作り出したい新しいムーブメントの歯車になっているように思えたのが悲しくて悲しくてしかたなかった。

悲しい、ぜんぶが悲しい。
これ見よがしなハードカバーの「ウェステリアと3人の女たち」も文庫の「愛の夢とか」も映さないでほしかった。「アイスクリーム熱」のなかで、映画でも異なる形、近しいけれど異なる言葉で使われていた、“うまく言葉にできないということは、誰にも共有されないということでもあるのだから。つまりそのよさは今のところ、わたしだけのものということだ。”という言葉通り、私の、あるいは他の誰かにとってだけの特別であったものが、安易な形になってこういう大量消費的に提示されてきて、たしかに小説にとっては読んでもらえることこそがいちばんだからこの感情が見当違いなのもわかっている、でも悲しかった、悲しかったのだ。

デビュー作で芥川賞を獲れるような特別な存在の作家を出して、さらにはわざわざ手書きの原稿用紙(!)を出して“作家”の漠然としたイメージを与えておきながら、しばらく作品が発表されないからといって「ゴーストライター?」など到底考えられない中傷が出てきて(高校生の店員が知ってるくらい過剰な露出の仕方があったなら作品が出来なくても絶対に文芸誌がエッセイなどで離さない、それらさえ断っている人物の掘り下げはこの作品からまったく感じられない)、小説を原案にしているのにも関わらずそんな低解像度のまま、ありていにいえば監督の自慰的にさえ思える作品に「アイスクリーム熱」が利用されないでほしかった、利用しないでほしかった。原案として使ってタイトルもわざわざ変えたのに原題の「アイスクリーム熱」を無意味なタイミングで使ってきたことにも腹が立ったし、あんな、とってつけたように原作の書き出しの「まず冷たいこと、それから、甘いこと」を使われるくらいならはじめからなくてよかった。こんな使われ方をして蔑ろにされて私は本当に泣いてしまった。

「アイスクリーム熱」はアイスクリーム屋で働く女性とお客の男性がちょっとだけ仲良くなってアイスを作りに部屋までいくけどうまくいかなくてっていう、たった2人だけのたった6000字しかない掌編で、書かれていることよりも書かれていないことの方が圧倒的に多くて、だからこそよかった。川上未映子自身は女と女ならもっと長いこと書けたかもしれないとインタビューでも話していて、それを吸い取った形が本作で、でも、私はやっぱり未映子の描くそれらが読みたかったんだなと強く強く思った。物語の推進力をストーリーではなく文体に求める作家だと思っているから、映像化されて、俳優がしゃべって(吉岡里帆はすばらしかった)、でもその発せられるすべては原作の輪郭こそおぼろげにある気がするけど強度はまるで足りない、ちょっとは似てるけどどれも借り物の言葉のようで、じゃあいま見てるものは「アイスクリーム熱」のどのエッセンスを抽出して下敷きにしたの? 原作でわざと書かれなかったあらゆることは映画という文体でもってどうやって見せて/表現してくれるのというの? 冒頭で「これは映画ではない」という言葉を思い出し、積み上がった映像の連なりを思い出し、けれど浮かび上がってくるのはアイスクリーム熱の薄皮を被ったなにかだった。私は、私の大好きなアイスクリーム熱の映画を観にきたのであって、あなたの思うエモーショナルな広告作品を観にきたわけではない

俳優たちはみんな素晴らしかった。過剰だとか生身の人間がそんなこと急に言わないとかいろいろ思ったけど監督と演出の方向性なんだろう。俳優たちは悪くない。原作が大好きで、これが川上未映子のキャリアで初めて映像化される作品だから、不安もあるけどやっぱり楽しみだった。楽しみだった。でも最初に書いたとおり私には合わなかっただけだからこの空気感に憧れてる世代に響いて、まーーーた年寄りの原作信者がベラベラ喋ってるよ!になってくれ、頼むよ、でないと許せない


[追記]
一晩経ってパンフレットを読んだ。監督インタビューのなかで、製作委員会の形を取っていたがうまくいかず頓挫して、とあり、作品がこんな舵取りになったのは口出しをしてくる人の数が多かったわけじゃなくて純度の極めて高い監督の希望だったことがわかって尚のこと悲しい気持ちになった。1200円のパンフレットのいたるところで「好きに、自由に、楽しむことがいちばんだと思って作りました」みたいな記述も散見して、もちろんそれは大切なことではあるけれど、原作が好きで観にきた人のことは最初から念頭になかったんだなあとあらためて思った。カルチャーを作り出したい野望をこんなにも全面に出すなら自分で原作を立ち上げればよかったじゃん。川上未映子が原案で、これまで映像化もされていない作家だからプロモーションの一環になるとしか思えなくて、本当に軽んじられてたんだな
鹿伏

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