せいか

岸辺露伴 ルーヴルへ行くのせいかのレビュー・感想・評価

岸辺露伴 ルーヴルへ行く(2023年製作の映画)
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09/23、AmazonPrimeにて視聴。

岸辺露伴というキャラクターが好きなのと、メディアミックスは嫌いだけどドラマ版はドラマ版としてうまく落とし込んではいると思うのでドラマ版もほぼ惰性で観ている作品で、その映画版なのでやはり惰性で観た。
本作、なんならルーブルも渡仏もついで程度のものである。でもルーブルは貸し切るぞ!
以下、ドが付く酷評になります。ごめんやで。

ドラマ版もそもそもシナリオなどの方面では個人的には上記以上のものは感じていなくて(役者さんとか世界の雰囲気は素晴らしいとは思う)、むしろ鑑賞後に引っ掛かりが残るものが多く、脚本面は星2あるかどうかみたいな評価しかしていないので、映画版も総合的には楽しめたとは言えないものになってるんだろうなと思って観ていた。実際その予想は当たっていた。
なお悪いことには、ドラマ版ではシーズンごとの繋がりは持たせつつも長くはない尺の短編の連続で処理できたのもあって、鑑賞後に引っ掛かりはあってもまあこんなものだろうと無理やり納得させられたものだったのが、映画ではその短所がとにかく悪目立ちしていた。なんなら本作はその一点につきるものにしかなっていない。最初から最後までダレたストーリーライン、整合性が取れてんだか取れてないんだか(つまり取れてないように思うってことですが)曖昧なままそれでも進行する物語。ドラマ版なんかもなんとなく雑に表現すれば民俗学ホラーみたいな路線を採用していて、本作にもそれはあるのだけれど、ドラマ版の延長線みたいなところで映画版でもこなしてるがゆえにその焦点もひたすら間延びしてしまっている。一つの作品として結果的にお話はまとまってはいるけど、それだけなのである。物語の最初から、芸術と向き合うことと真摯さみたいなテーマが点在はしているけれど、そこはなんだか放置されている。観ていて気分が悪くなってくる曖昧さ。
あえてやるくらいなら、ドラマ前後編くらいか一話ででも良かったんじゃねみたいなものにしかなっていない。(ルーブルまで行くのでそんなんじゃ許されないのだろうが。)

個々人が(それこそジョジョの中で描かれもしているが)「血の繋がり」を含んだ過去からは逃れられず、普段は光の中で蓋されている「後悔remords」も黒い鏡となってそれを映し出す絵を前にすればそんな薄膜も剥がれてしまい、途端に鋭い牙を持った獣となって後悔は私を貪り始める。そういうのは面白いのだけれど、もっとそこにじっとりとした注力をした作品づくりをしてほしかったなあ感。そこにどっしり構えつつジャンル的にはもっとホラーでされていたら一個の作品として好みのものになっていたと思う。繰り返すように、とにかく本作は中途半端で間延びしているので。

ちなみに作中でremordsについて品詞がどうの、文脈からどうのというくだりがあるけれど、冠詞などがないから曖昧になっているという意味でもあるけれど、remordsは(他にも単に後悔の意味合いの言葉ならあるんだけれど)、それだけで見ると、名詞とも取れるし、動詞の活用形にも取れることからそういうやり取りがあったのだと思う。良心の呵責的な後悔を表す語彙で、動詞の場合、齧りつくという意味も持つ。
本作では蜘蛛がとにかく出てくるのだけれど(本物を顔に乗せたりしてたのなら役者さん大変だと思いながら観ていた)、張り巡らされた蜘蛛の糸が靄のようになっているとか、絵の具を介して絵に取り憑いた妄執の蜘蛛に齧り付かれるみたいなイメージも連想する。
ただ、これに関してもネタは面白いけれどスパッと作品の中で決まってたかというとどうなんだろなという保留めいたモヤモヤはある。

編集ちゃんがまったくの無垢めいているとかいうのもなかなかホラー。人生を生きていて心をちくちく刺す、直接自分が加担したわけでもないささくれみたいなのもないのか。

あと余談だけど、ドラマ版放送時なんかもTwitterとかの感想で、パリへ行ってほしいとかグッチがどうのとかいうの見かけるけど、ああいうオタクのノリすごくいい気がしないのだよなあ(たぶん、すぐ、アニメ化してほしいとか言ってるのに対して感じる気持ち悪さと地続きなんですけども)。
それよりも作品がただのメディアミックスに堕さない、ひたすらにそうなるという意味でファン向けのものにならない、核ある一個の作品になって欲しいというか。
あまりに短絡的な消費前提のきゃぴきゃぴはやめましょうよというか……。そういう意味でオタクのノリが嫌いなのはあるんだけども。

ともかく、本作、すごくビミョーでした。なおかつ、映画作品として捉えた場合はだいぶひどい部類かと思います。ファンサの域を超えていない。それでいいのかもしれないけれど。
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