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ザ・キラーのペインのレビュー・感想・評価

ザ・キラー(2023年製作の映画)
4.1
『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』VS『ザ・キラー』のキラー対決鑑賞終了。

デヴィッド・フィンチャーの方が、マーティン・スコセッシより20くらい年下であるが、遥かに悠々自適な落ち着き払った映画を作っていて笑ってしまう(笑)

というのも、フィンチャーは2014年(もう約10年前!)の怪作『ゴーン・ガール』を沸点に、なんとなく次作『Mank/マンク』からは、“緩かな老後”モードに入ったようにも思える。故にパンチの効いた“大傑作!!”的な映画を作る意欲(あるいは興味)が無くなり、趣味感覚で映画を撮るようになったといって等しい(※前作「Mank/マンク」はその趣味性が高尚さに走りすぎたきらいはある)。

しかし、肩の力を抜いてもフィンチャーはフィンチャー。全ショット凡庸なショットは無い級でありながら、そこに“抜け感”までも付随させてしまっているのが本作。この“抜け感”は人によっては刺激が弱く、“面白くない”とも感じられそうだが、そこは新たなフィンチャーのニューフェーズとして評価したいとも私は思った。

ギレルモ・デル・トロが、本作を「フィンチャーがジャンル映画のビートでスウィングしているのが大、大、大好き。film(アート性が高い映画)とmovie(娯楽性の高い映画)を同時に観れるなんて最高だ」と絶賛した一方、かの『タクシードライバー』脚本家ポール・シュレイダーは、「内容に比べスタイルが勿体ぶりすぎ。主人公の過剰な独白が気に入らない」と評したのには両者の“シネマ”に対する考えが明確に表れていて興味深いなと思った。たしかに本作は、シュレイダーが作ってきたようなある種生真面目で鬱屈したものを抱えた殺人者の映画や、50~60年代の傑作犯罪映画群と比べると“硬質さ”は薄いのは確か。

それはそうと、スコセッシみたく80過ぎても尚、206分のあんな重喜劇を作る方のはおかしいwこの人は本当にいくら水を飲んでも渇いた喉が潤わないような野心、創作意欲の塊のような人なんだなと思う。どなたかが、フィンチャーは“なんちゃってシネフィル”というようなことを言っていて腑に落ちたりもした。というのもこれは悪口ではなく、我々パンピーよりは遥かに映画を見ていることは前提に、スコセッシやシュレイダーのような映画狂人、徹底した“映画史家”な人たちに比べると、フィンチャーはどこか“この映画は観てないんけれどこんなん撮れちゃったんだ~”みたいなある種の余裕があったりはする。

結果、前者と後者を2本続けて観て、良い感じに“中和”された感はある🍵←なんかんや別方向で、どちらにも“シネマ”の格、力強さ(のようなもの)を感じざるを得なかった。

ただ、本作『ザ・キラー』を短期間に4回も繰り返し観ていたというフィンチャーの盟友、スティーヴン・ソダーバーグ。同じB級クライム映画という括りなら、あなた(ソダーバーグ)の作った『クライム・ゲーム』や『KIMI』も全然負けてないというか、私は大好きですぞ!とだけは声を大にして言っておきたい。
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