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斬る 4K版のdm10foreverのレビュー・感想・評価

斬る 4K版(1962年製作の映画)
4.2
【斬るべきもの】

この映画は柴田錬三郎の同名小説を「黒蜥蜴」の新藤兼人が脚色し「婦系図」の三隅研次が監督した。
いわゆる「剣」三部作の第一作で、この後「剣」「剣鬼」が制作された作品としても有名。
そしてこの度『大映4K映画祭』と銘打って数々の名作が「4Kデジタル修復版」として約60年の時を超えてスクリーンで蘇った。

いやいや・・・。
これは本当に関係者の方々に感謝ですね。
こんな作品をスクリーンで観られる機会を作っていただけて本当に嬉しいです。

市川雷蔵さんについては「往年の大スター」という印象こそあれ、そもそも世代ではないということもあって、果たして「どのくらい凄い人だったのか?」「彼のどのようなところが人々を惹き付け、魅了したのか?」という点については正直あまり知りませんでした。

実は今回の劇場鑑賞も本当に偶然で、本来の予定では前日まで公開されていた「刺青(主演:若尾文子)」の方をブッキングしていたんですが、運悪く仕事が重なってしまい見逃してしまいました。
そこで改めて同じ劇場のスケジュールを確認してみると今日、明日の2日間はこの『斬る』が組まれていたんですね。
(時代劇か・・・・)
なんて感じでふんわりと悩んでいたんですが、主演が市川雷蔵さんと知って「きっとスクリーンでこういう作品に触れる機会なんてそうあるもんじゃないよな」と感じ始めてからグイグイと惹き付けられ、結果、仕事を定時きっかりに切り上げて猛ダッシュで劇場に向かっていました(笑)

みなさんはどうかわからないんですが、僕がイメージする「(お侍さんが出てくる)オーソドックスな時代劇」って、いわゆる『勧善懲悪』がベースにあって、それこそクライマックスはチャンチャンバラバラの大立ち回りってのがスタンダードだと思っていたんですね。

まして市川雷蔵さんは「眠狂四郎シリーズ」などでも有名なくらい剣術の所作が美しいっていうことは知っていたので、タイトルからしてもこれは面白いチャンバラ映画だろうと。

しかし・・・まんまと裏切られました、いや、いい意味で。

これは「剣豪の成り上がりサクセスストーリー」でも「家族の仇を討つ痛快復讐エンタメ」でもなく、「数奇な運命に翻弄された一人のお侍さんの生き様」を描いた映画なんですね。
なので、勝手に期待していたチャンバラシーンは思っていたよりも少なめだし、そこ自体にカタルシスを感じるような展開にもなりません。
ある意味では現代劇にも通ずるような「人間ドラマ」のテイストなのかもしれない。

大儀のために自らの命を賭した生みの母。
身に覚えのない私怨に巻き込まれ惨殺されてしまった妹。
大切な弟の命を守るために多勢の侍に立ち向かい散っていった女・・・。

正義のために刀を振るう男の前から無情にも消えていくいくつもの儚い命。
自分の命とはいったい何のためのものなのか。
どれだけ素晴らしい剣術を持っていても護れない命もあるという現実。
自分の出自を知り、生かされた意味を知り、幾つもの命(犠牲)によって今を生きている現実を知る。

本当に些細な理由で家族を皆殺しにされた高倉信吾(市川雷蔵)は、あっという間に仇である池辺親子を追い詰め瞬札してしまうというシーン。
きっといつもの「時代劇」なら、ここに一種の頂点を持ってきそうなものだけど、そこには達成感もカタルシスも存在せず、ただただ空虚な現実が信吾を叩きのめすだけだった。
今作における殺陣のシーンは実はどれもそんな感じ。
「るろ剣」のように、バッサバッサと敵を切り倒す爽快感などはほぼ皆無で、斬った後に一瞬だけ映る川の水面や薄ぼやけた夕焼けが、信吾のざわめく心境を客観的に表現しているように感じた。

剣客時代劇なら「語るよりも斬る」だとばかり決め付けていた自分にとっては、ただ単に「斬って終わり」ではなく、むしろ「斬ったことから生まれる不条理な現実」に直面する信吾の中に去来する無力や虚しさのようなものが描かれていたことが驚きだったし、新鮮にも感じた。

武士道を題材に描くときって「武士の死生観」っていうものは切っても切り離せなくて、ものすごくザックリ言えば「生に執着して無様な生き様を晒すより、潔い死に様を望む」という思想なんだけど、これは別に「常に死ぬことを考えている」っていう安直な考え方ではなく、武士らしい本懐をと遂げるためには、それに見合うだけの武士らしい生き様をしなければならないというものでもあるんですね。

この物語で信吾が目の当たりにするのは「護るべき女たち」から見せ付けられた生き様ではなかったのだろうか?
自身の出自に迷い根無し草のような放浪生活を送りながら、必死に生きる意味(生き様)を模索していく中でやっぱり蘇るのは「目的を成し遂げて死んでいく女たちの潔い死に様」。
そして、自分自身の「生きる道」。

やがて幕府大目付の松平大炊頭に推挙され仕えることとなった信吾は、親身になって色々と世話をしてくれる大炊頭に徐々に父のような親近感を感じ始め、「命に代えてもこの方をお守りする」という使命を心に刻む。

丁度その頃、時代は「尊皇攘夷運動」の嵐が吹き荒れていて、各地で暴動なども頻発していた。
そのなかでも水戸はその中心の一つであり、お目付け役の松平も事態の鎮圧に自ら向かう。

・・・そうか、ここか!ここで最後のチャンバラ大会が繰り広げられて、正義が勝つ!ってなって・・ん?

違う。
そっちじゃなかった。
考えたら最初からどこにも「正義」なんてものは謳っていなかった。

最後まで、数奇な運命によって翻弄され続けた信吾の本懐。
彼にとっては「潔い死に様」を得ることが出来たのだろうか・・・。

今生の世では叶わなかった親子の再会をあの世で果たすことが出来るという願いだけが彼の救いだったのだろうか・・・・。
最後まで鑑賞して、英題の「Destiny Son」の意味がはじめてしっくりくる。


何といっても市川雷蔵さんの立ち居振る舞いに宿るオーラが美しい。
これは確かに絶大な人気を誇ったのも頷ける。
1969年に37歳という若さで病に倒れ亡くなられたとのことだが、今もご存命であれば90歳くらい。
きっと昭和、平成、令和と味のある演技をみせ続けてくれただろうな・・・と残念至極。

あと、映像の撮り方(光の使い方やカット割り)などがとても美しくて、4Kどころか、今の最新機材を使用して撮影されたら凄い映像が残ったんだろうな・・・と。
改めて当時の撮影監督やカメラマンの方の技術も素晴らしかったんだなと納得。
藤村志保さんや万里昌代さんの美しさもスクリーンで堪能できたし、満足満足。

自分の中で「時代劇のオーソドックス」が変わるきっかけの一作になった気がしました。
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