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スペースマンのBlueのレビュー・感想・評価

スペースマン(2024年製作の映画)
4.5
おそらく監督のヨハンレンクは、実生活とこの原作小説と重ね合わせて作り上げた作品だと思います。
一方でこの映画と原作小説にはイエスキリストの生誕をモチーフにしているところがあります。その事を知らずとも個人的には2024年のベストの一本と言っていいくらい好きな作品ですが、アートっぽくて何がなんだかわからないと思われる方に少しだけキリスト教にまつわる事を書きたいと思います。
人によってはそれがノイズになるかも知れませんので、ご注意ください。





まずヤクブという名前はイエスキリストの1番弟子のヤコブを想起させました。映画ではジャック、ジェイムスという名前もヤコブが由来で、イエスキリストが十字架につけられ処刑されたあとも布教して同じように処刑され、殉教した聖人として有名です。

イエスキリストが生まれる際に、西の空に大きな星が輝き三人の博士はその星を手がかりに新たなユダヤの王/救世主を探します。
それと同時に当時のユダヤの王は自分の王の座を奪われかねないとベツレヘムの幼児を虐殺していきます。マリアとヨハネは赤子のイエスキリストを抱きながらエジプトに脱出する際に、ほら穴に身を隠します。兵士がほら穴に来た際に、蜘蛛の巣がかかっていたためにここに人がいるならば蜘蛛の巣などなかったはずだ、と帰って危機を脱するという話があります。

星、赤子、真実/真理をつかもうとする弟子の姿、そして蜘蛛の存在。この映画はその神話を踏まえた上で人間の心と宇宙を重ね合わせながら、ギリシャ神話の木星/ゼウスにも寄せつつ、アートな映画としても素晴らしい作品だと思いました。
まぁアダムサンドラーとビッグバンセオリーのクナルネイヤーが出ているのでコメディ映画を一瞬期待した部分も少しあったのだけどw、コメディでなくて良かった。あとライアンゴズリング主演で映画化が決定されてるプロジェクトヘイルメアリーも想起させるし、あの小説に胸を踊った人には拍子抜けの内容かも知れません。

クリストファーノーランがフィルムで撮影するのにこだわりをみせ、多くの監督がフィルム撮影をするようになってヨハンレンクもまたフィルムで全編撮影してると思うのですが、映像が綺麗かどうかは別として、とても味わいが深くなってるような気がしました。

2024年3月現在、ドゥニビルヌーヴのDUNE Part2、ノーランのオッペンハイマーが公開されようとしていますが、ヨハンレンクもまたこの2人に呼応してると感じるし、実に良いタイミングで配信されたと思います。

かつて2001年宇宙の旅や惑星ソラリスなど、真宇宙に進む事によって人間とはなにか?始まりはどこなのか?という事を考えさせられる映画がありましたが、ウクライナ侵攻やガザ地区の戦闘、それぞれの国にある民族の対立間など、問題が一気に噴き出したかのように見える時代に、再び自己を見つめるような映画が作られるのは、実はそのタイミングとしてはピッタリなのかも知れません。
代表例としては昨年のギャレスエドワーズ監督のクリエイター、アカデミー賞を受賞したエブリシングエブリウェアオールアットワンスなど自己探求映画の代表作かなと思いました。

この宇宙の誕生はビッグバンによって空間/スペースが今もまだ拡がっています。物理の研究者にシャボン玉が作られる過程か?と乱暴に聞いたら苦笑いしながら、まーそんな感じに近いと言われました。
この空間の拡がりはやがて加速していき、シャボン玉のようにならずに破裂するのではないかと計算上ではなっています。これをビックリップスと言いますが、しかしそれでもこの宇宙には恒星は2000億近くあり、さらに地球のような星に生命も誕生している。シャボン玉は一瞬でできますが、それでも永遠は伴っている。この宇宙もまた一瞬ではあるが、時間と距離の単位で言うならば長い年月がある。
始まりと終わりは同じタイミングで起こりうるし、私達は実はその前にあった宇宙の星のかけらによって作られた存在なのかも知れない。

一つの夫婦、2人の人生、2つの円が重なりあって♾️無限♾️が生まれる空間/スペースのストーリー。

真っ暗であるが実に想像力のある余白を伴った作品だと感じました。音の演出も素晴らしくできれば映画館で余韻に浸りたかったな、と思いました。
満点以上に価値のある、余白に無限を感じさせる4.5の作品。
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