右も左も

スペースマンの右も左ものネタバレレビュー・内容・結末

スペースマン(2024年製作の映画)
1.4

このレビューはネタバレを含みます

SFをヒューマンドラマのツールとして使おうとすると、どうしても綻びが生じてしまう。ただ成功例として『コンタクト』や『インターステラー』がある。コンタクトのラスト描写やインターステラーのテッセラクトの表現も初見時には少し違和感を感じたほどなので、私のそうした感覚そのものに問題があるといえば仕方がないのだけれど。
今作は悪いところをわかりやすく具現化し、問題点を指摘しやすくした指南書として映画学校のマニュアルにしてもらいたい。

 まず、もう夫婦とか家族の思い出を何度も何度も画面に出さないでもらいたい。やりたいことはわかるが、孤独や不安を極限まで高めるために宇宙を使う安易な方法は明確に暗黙の禁止事項にしてもらいたい。
今回の場合は妻が流産して再度妊娠、夫は名誉ある宇宙飛行士で自分の精神的、物理的逃げ場がありながら、いざ孤独になれば妻に頼るというありきたりな構図。
そうした手法はすぐに思いつくので、何か新しいことがあるのではと期待するけれど、結局は予定調和だ。最終的に何か特別な力で考えを改め、特殊な方法で帰還するのが恒例だが、今回は特にひどかったツール。二つの“クモ”について。

 一つ目の生物的な蜘蛛。これは画的に、この時点で見るのをやめてしまう人が多いだろう。私は苦手ではないので、エイリアンを想像する手間を惜しんで物理的、精神的な表現として登場させるのはそれほど悪くないと思ったが、役割として孤独の解消、妻と向き合うことへの手助けのみをご都合として放り込んでいるので、説明はしているのだが、全く腑に落ちない。特にラストの『もう用がなくなったので、そろそろ退場してくれ』の方法が最悪で、どういうタイミングでアレが出てきたんだと。ちょっと前に出てきて、『あ、まだ早かったんでもうちょい待ちます』な感じ。精神的ではなく物理性の優位を保つためにとった方法としては過去一最悪。もう本当にプロジェクトへイルメアリーがいかに素晴らしいかがわかる。
物語を進めるためだけの名詞や表現、技術のオンパレード。ちゃんと考えた嘘で騙してもらいたい。全てが都合。

 もう一つの”雲”はほとんど背景。始まりとか終わりとか適当な言葉で濁しておいて、最後まで存在の意味もよくわからない。人間の心の機微や愛情という”観測できる力”表現として、誰が一体納得できるのだろう。関係者は試写で見た時、ゾッとしなかっただろうか。

 こういうことにキャリー・マリガンを使わないでほしい。『チェルノブイリ』を作った監督だっていうから見たのに・・