YohTabata田幡庸

マエストロ:その音楽と愛とのYohTabata田幡庸のレビュー・感想・評価

4.2
私が生まれて初めて、レナード・バーンスタインのブームが起きている様に感じる。スピルバーグが「ウェスト・サイド・ストーリー」をリメイクし、トッド・フィールドが現代版バーンスタインの物語を「Tar」で語り、満を辞して彼自身の伝記映画だ。

「ハング・オーヴァー」「リミットレス」「リコリス・ピザ」「ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシー」シリーズ位でしかブラッドリー・クーパーを見た事がなかったので、ジャンル映画によく出るイケメンだと思っていたが、監督も出来て、きちんと芝居も出来るとは。それはスピルバーグもスコセッシも支えてくれる訳だ。

撮影、編集ともにきちんとしているし、スタイリッシュだ。本作で描かれるのはレニーと妻フェリシアの物語で、仕事人レナードの姿ではない。順って、彼等ふたりの距離が縮まって行くくだりをレナードの手掛けたミュージカルをベースにした抽象表現で描いている。上手いし美しい。そこに行くまでの編集のテンポも素晴らしい。一方で後半はPTAかと思う様な長回しが印象に残る。特にフェリシアを見舞いに友人が来た時のゆっくりとドリーインするロングテイクは間違いなく映画館向けだ。

そして本作で印象的なのは本来ならそこにフィーチャーしないだろうと言う事や、それは如何な物なのかと思ってしまう様な事も描かれる事。一方でここを描かずしてどうする、と言う部分を割愛している。そしてレニーのパートとフェリシアのパートがほぼ半分ずつ描かれている。勿論二人の夫婦の物語なのだから当たり前と言えば当たり前だが、それにしてはフェリシアのパートが多い。なんなら彼女の絡まないレニーのパートは割愛されていると言っても良い。実は本作、主人公はキャリー・マリガン演じるフェリシアだったのだとエンド・クレジットを見て確信した。これはレニーの見ていた彼女の姿だった。語り手レニーによる妻の話だから終始妙なバランスで話が進んで行くのだ。

そこに気付いたのは、教会でマーラーの交響曲2番「復活」を演奏するシーン。考えてみれば冒頭からフェリシアの事について語り、ラスト・カットもフェリシアだ。然しこのシーンの美しさ、「復活」と言う曲の素晴らしさでしっかり泣いた。本作で唯一レナードが1楽章フルで指揮をしているシーンだ。

事程左様に、レナード・バーンスタインの仕事面は余り出て来ないので、彼の功績等をある程度知ってから観た方が振り落とされないと思う。

BGMも含めて選曲が素晴らしい。クラシックの名曲とレナードの作品たち。「ウェスト・サイド物語」の序曲で小躍りし、前述のマーラーの「復活」で泣いた。ベートーヴェンの交響曲8番とは何とも渋い。

キャリー・マリガンが芝居が上手いのは知っていたが、こんなに上手かったっけ?

冒頭でも書いたが、ブラッドリー・クーパーが今まで見た中で最高な芝居していた。

マヤ・サーマン・ホーク、ご両親によく似てる事。声好き。

ここからは勝手な私の考えを。
今、バイセクシャル/パンセクシャルで、遊び人で、仕事に忙しいレナード・バーンスタインと、それを承知で結婚したフェリシアの人生を語ると言う事。フェリシアは苦労しただろう、可哀想に、等と言う言説に疑問を呈する作品だと感じた。夫婦とは、そんな簡単で単純な物ではないのだろう。特にこの二人は、俗に言う普通の夫婦ではない、少なくとも本作の中では。両者共にパワフルで情熱的だ。バーンスタインに関しては、クラシック音楽史どころか、ポップ・カルチャー史を語る上で絶対に外せない人物の一人として、数々の伝説と偉業を成し遂げて来た人だ。この時代をその様な風に生きた彼等を「普通」の物差しや、「現在」の価値観で見直す事は、無意味とは言わないまでも、それが正しいとは限らない。勿論今の常識から考えれば、可笑しな点はあるだろうが、あくまでも「この時代」の「彼等」なのだ。

過去の出来事を、現在の視点で光を当て、見直し、語り直す事。それ自体はとても大事な事だし、行われるべきだが、そこに固執する事で当時の視点を欠き、一方的に物事を判断する事の危うさは、頭の片隅に留めておかなければならない。

そしてそんなファジーでマージナルな物を捉えて、人々に提供するのが全てのアートの役割なのだと思う。

深読みかも知れないが、冒頭の引用はそう言う事なのではないだろうか。

フィンチャーの「ザ・キラー」に続いて、Netflix制作の良質な映画。

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さて、煙草を吸いに行くとするか。
YohTabata田幡庸

YohTabata田幡庸