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マエストロ:その音楽と愛とのambiorixのレビュー・感想・評価

1.9
あれっ、ブラッドリー・クーパーってこんな顔だったっけ? 映画に出始めたころは世界一セクシーな男かなんか言われてたのに、しばらく見ない間にワタミの会長みたいな風貌になってる…。と思って調べてみたらなるほど、これは特殊メイクで、自らが演じるレナード・バーンスタインに似せるための付け鼻だったのであった。これにて一件落着、といきたいところなのだけれどそうは問屋がおろさない、というのはクーパーがアイルランド系の父親とイタリア系の母親の血を引いておるからで、ようするにこの人、自身はユダヤ人でもなんでもないにもかかわらずユダヤ人のバーンスタインっぽく見せるために顔面を偽装しているわけです。顔を黒く塗った白人が黒人の役を面白おかしく演じるミンストレルショーや、顔を赤く塗った白人がインディアンの役を演じる西部劇などが過去に批判されたように、当事者ではない人間が対象の身体的特徴やステレオタイプを誇張して演じる、というのは明らかな人種差別にあたります。日本でも何年か前にダウンタウンの浜田がエディ・マーフィーのモノマネをして大炎上した事件がありましたね。実際にこの件は公開前にかなり問題視されたそうです。しかしながら、本作の監督でもあるブラッドリー・クーパーがこのことを知らなかったとはとうてい思えない。それではなぜわざわざこんなリスキーな選択肢に賭けたのかというと、クーパーが病的なまでのナルシストだから、としか言いようがないんじゃないですか。

以上の例を筆頭に、本作『マエストロ:その音楽と愛と』(2023)は見ていて反吐が出るようなナルシシズムに満ち満ちています。基本的に映画の尺のほとんどは「どや、オレってカッコええやろ?」みたいな顔をしながらタバコを燻らすクーパーの姿を延々と映し出すだけ。そしてこの視点から映画を見るとすべての要素が鼻について仕方がないという…。たとえば、本作はバーンスタインとその妻フェリシアが出会ってお付き合いするまでのパートをモノクロで撮っているわけですが、色味はカラーのフィルムを脱色して無理やり白黒にしたような中途半端さだし、陰影のコントラストやなんかもいい加減です。モノクロで撮らなきゃあいけないだけの必然性を微塵も感じない。「なんかモノクロの映画ってカッコええやろ?」ぐらいのこだわりしか持っておらないように見えるのです。そんな俺の推測を裏付けるかのように、中盤からはモノクロの撮影を放棄し、画面がカラーのスタンダードに変わります。しかしこれに関してもやっぱり「映画の途中で画面の色やスクリーンサイズが変わったらカッコええやん」程度の薄っぺらさを感じてしまう。

この映画は一事が万事こんなノリで、それっぽい画面とそれっぽい場面の切れ端をそれっぽい感じに繋げて愛の物語だかなんか謳っておけば観客は勝手に感動してくれるだろう、みたいな安易すぎる打算でもって組み立てられています。各所のレビューを読むと、やたらと「葛藤」なるワードを目にするのだけれど、そんな高尚なお話ではなかったように思う。少なくとも俺の目には、家族をいっさい顧みないドクズの男が妻や子供をうっちゃらかしたあげく突然気まぐれに戻ってきて夫婦愛だなんだとのたまい始める、この上なく自分勝手な物語としか映らなかった。

本作最大のウリは、バーンスタインが教会でマーラーのミサ曲を指揮するシーンを、なんとブラッドリー・クーパー本人がダブルを使わずに演じているところでしょうか(メッチャ練習したそうです)。好意的に解釈するなら、バーンスタインの音楽家としてのキャリアが頂点に達すると同時に、長年確執の状態にあった妻とようやく和解する感動のシーンなのだ、ということになるのでしょうが、前者に関しても後者に関してもそこにいたるまでの積み重ねがほとんど描かれていないために、場面が宙ぶらりんに浮いてしまっている。はっきり言ってこのくだりには何の意味もないわけです。劇中における数少ない演奏シーンでさえも、結局のところはクーパー監督のナルシシズムを満たすための単なる道具として回収されてしまっています。

いやさ、もっというなら「そもそも主人公がバーンスタインである必要はないのではないか」とすら思えてくるのです。この映画のなかでは、バーンスタインが音楽家として出世していくプロセスや、彼のセクシュアリティの問題がいっちょ噛みレベルでしか掘り下げられないので、仮にこれが架空のミュージシャンの話だったとしてもまったく問題なく成立するはずです(そんなもん誰も見ないでしょうが)。それだけならまだよいのですが、本作は(バーンスタインをモデルにする必要がなかったにもかかわらず)バーンスタインやその周辺にいた実在の人物を本当にしょうもない、取るに足らない人間のカスとして描いてしまっている。もはや死者に対する冒涜なのでないかと思うのだけれども、これは前作の『アリー/スター誕生』(2018)でも感じたことなので、おそらくこの監督の作家性なんでしょうね。

そういう意味でいうと、映画監督ブラッドリー・クーパーにもっとも近いのはポール・バーホーベンなのかもしれない。唯一違うのが、バーホーベンの描くキャラクターが「人間なんざしょせん全員クズなのだ」という、全人類のことを心底からなめ腐った強固な世界観に裏打ちされているのに対して、クーパーの場合は高尚な夫婦愛の物語を本気で描こうとした結果こうなってしまった、というところです。まあ、どんな登場人物を描いてももれなく人間的魅力ゼロのカスになってしまう、というのもそれはそれである種の才能なのかもしれませんが…。
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