このレビューはネタバレを含みます
チネラヴィータ仙台で見た。もうすぐ閉まると意識するとついつい足も向かう。あと、電車でいきやすいので。
これは安定していい気分で劇場を出られるいい話だぞ、と思って足を運んだ。結果としては大外れではないものの飴は少なく自然派食品をおやつにしたような気分になった。アカデミー国際長編映画賞に選ばれる意味は分かるものの、とらないだろうなあと予想。
そもそも現代が『silent girl』ということで、全然『コット、はじまりの夏』と雰囲気が違う。ずいぶん狙ってマーケティングしてきたものだと思う。
両親がネグレクト気味で本人も学習障害(?)かもかつ、気弱なコットがおじとおばの家に預けられ、やがてその悲しみを知り、というストーリー。おじおばものということで、赤毛のアンの初期(アン物静かver)みたいな話をイメージしてもらえばよろしい。
とはいえ、音読が人より遅いとか、コットの弱点部分が夏休みの間は露呈することもなく、普通におじ叔母に慣れ親しんだら素直に頑張る子ということで、正直波の少なさに、時間帯によっては眠くなる。
もちろん、おじとおばが自らの息子を亡くしている(肥溜めに落ちたという古典的な死因)のは、通奏低音として映画の雰囲気を作っていて、それに浸れる人もいるんだろうけど、そこまでそこも深掘りされるわけじゃないんだよな。
それに、実家の両親もそこまでくずというほどではないのがリアルといえばリアル。なくなった息子の服をコットに着せるおばの方がある意味クズなのでは、というのもリアルといえばリアル。
アイルランド語ってあんなに英語とかけ離れているんだな。