デッカード

コット、はじまりの夏のデッカードのネタバレレビュー・内容・結末

コット、はじまりの夏(2022年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

おとなしく無口な少女・コットが母親の親戚夫妻と暮らすひと夏の忘れられない日々。

コットはおとなしく無口なため、両親など大人からはとらえどころのない少女だと思われています。
コットには他の子どもたちと比べると成長の遅れが見られ、もしかしたら「発達障害」の一つの姿なのかもしれません。
物語はそんなコットの視線で大人たちを中心とした他者を描いています。

コットの実の両親、特に父親には粗野で自堕落な側面があるのは明らかで、母もそんな夫にイライラばかりしつつ出産を控えています。
姉妹たちも無口で掴みどころのないコットをどこか疎外しています。

コット自身は自分を上手に表現することができないため、心の中でそんな家族や学校で、ともすれば邪魔者扱いされたり異物感すら持った目で見られていることに実は傷ついているように見えました。
やさしい性格ゆえに他者を悪者と恨むこともできず、ひたすら自分の居場所が無いことにじっと耐えている少女の姿は痛々しかった。

しかし、母の親戚のアイリンとショーン夫妻に夏の間だけ預けられることでコットは変わっていきます。
コットに当初からやさしく接するアイリン、ぶっきらぼうだったショーンが少しずつコットのことを大切に思うようになっていく過程は温かい視線に満ちています。
コットとショーンの牛舎での掃除シーンは、ただそれだけ描写なのですが、温かくやさしさに溢れています。

映画全編はとても静かなトーンで描かれていますが、アイリンとショーン夫妻の忘れられない悲しい過去をコットが知る描写ではその静かさが崩されることなく描かれているがゆえに深い悲しみに満ちています。
また、二人のことを小さな悪意で興味本位でウワサする他の大人の嫌な部分も、感情を抑えた淡々としたかたちで表現されていますが作り手のそんな感情への嫌悪感が見て取れます。

コットはやがて実家に戻らされるのですが、コットのことを思うアイリンとショーンのコットと別れることを本当に悲しむ気持ちが、これも決して派手な描写ではなく、それがむしろ心に響きました。

そして、ラストだけはそれまでの映画の雰囲気が一変されます。
コットが必死に駆け寄り抱きしめたショーンを「パパ」と呼ぶシーンは、それまですべての登場人物が感情を押し殺していただけに忘れられないほど感動的でした。(現実の世界では感情を激しく表すことなどほとんどないことを考えると、この映画はむしろリアルな描写の連続だったと思いました)
コットの視界には実父の姿も見えているのですが、コットにとって本当に大切な「父」が、当初過去のトラウマを抱えてぶっきらぼうだったのに最後には無償の愛を注いでくれたショーンしかいないことが対象的に描かれていました。

物語はコットが親戚とはいえほぼ他人のアイリンとショーンにとって必要となる、コットが二人にとって他に変えがたいほど大切な存在になる"大人たちの物語"という側面を描いていますが、同時にコット自身が「自分はこの世界にいていいのだ。この世界のどこかに誰か全く知らない予想すらしていなかった人に必要とされる"居場所"は必ずある」という確信を持つ成長の物語でもあると思います。

コットの実の両親にしてもコットをかえりみようとしないのは貧困も一つの原因だと思えます。
大人たちにとって決して生きやすいとは言えない世界の中で、疎外感だけを抱えて成長する子どもたちもたくさんいるのでは?と思えてきます。
ともすれば、それが子どもたちが大人になってから感じる居場所のない孤独感や、他者に対する無慈悲さにまでなってしまうことすら想像させます。
しかし、自分が誰かに、決して血がつながっていることなどは関係なくても、他者に必要とされている、必要とされるかもしれないと信じる気持ちは必ずその人の生きるための力になるように思えました。

それは決して大袈裟な関係性だけではなく、SNSの感想に対する"いいね"をする行為などは実はとてもわかりやすいその人を必要としている意思表示の一つのように思えます。"いいね"をする行為に、している人自身には全く大袈裟な自覚はないと思いますが、"いいね"をもらった人にとっては「自分がこの世界にいてもいいのだ」というささやかな確信と勇気を与えている可能性を全くありえない、とは言い切れないように思えました。(その意味では、私の感想に"いいね"をいただいている皆さんには感謝です)

アイルランドの光が降り注ぐ農村の映像は淡い色合いが豊かで美しく、英語とゲール語が混在するセリフの音としての響きが映画に独特の温かさをまとわせています。

決して大きな出来事などで観客を驚かすような派手さはありませんが、鑑賞後、不思議なほど芳醇な気持ちにさせてくれる映画だと思いました。
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