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コット、はじまりの夏のSPNminacoのレビュー・感想・評価

コット、はじまりの夏(2022年製作の映画)
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ふわっとした邦題より『The Quiet Girl』でいい。これは抑圧と抵抗の物語。小2まで自分も教室で喋れない子どもだったのを思い出す。思えば、何に抑圧されてたんだろう。
草むらやベッド下に身を隠し、両手をキュッと前に閉じてじっと立ちすくみ、言いたいことを我慢するコット。対照的に、周りでは親姉妹、赤ん坊の声やTV音声、牛の鳴き声などが常に聞こえる。但し、悪態や嫌み、詮索や陰口といった話し声は対話ではなく一方的なもの。沈黙はそれに対する抵抗だ。
フレームから外れた父母の顔は、娘と向き合わない意味での沈黙(もちろんコット以外の家族も抑圧されている)。だがキンセラ家に着いたコットに、アイリンは車のドアの向こうから目線を合わせて話しかける。それだけで、ここがコットを抑圧しない場所だと伝わる。「家に秘密はない」と迎え入れるアイリン、父と同じように背を向けたショーンもやがて心を開く。労り合い、ケアし合う沈黙のコミュニケイションがここにある(やがてそれはセルフケアにもなる)。黙っていてもいいからこそ、母の言いつけを繰り返してたコットが、牛の乳は牛が飲むべきだと主張する。
登場する3つの家は象徴的だ。薄暗く窮屈で殺伐としてるのが実家と立ち寄った村人の家、整理されて余白があるのはキンセラ家。とはいえ、やはり秘密のない家はない。アイリンとショーンもまた抑圧を抱えていて、コットによって開放されてゆく。そうして一つの家族になろうとする3つの灯り。
夏が終わると、来た道を戻り、元いた場所へ円環するのは切なすぎる。でもだからこそ、あのオープンエンド!自分のための新しい服を着て、少し背が伸びて、走るのが速くなったコットは強い眼差しではっきりと言葉を伝えるのだった。
水場と部屋の暗闇を前にコットが佇むショット、フレーミングと音の効果がすごかった。アイルランドのデッドパン版「赤毛のアン」と言えなくもないが、カトリックで妖精の国らしくどこかファンタジック。ミルク、紅茶、黒ビール、母乳と粉ミルク、湧き水、お風呂、おねしょ、海…頻繁に出てくる水のモチーフは死と再生、浄化だろうか。いわばコットは秘密の湧き水で洗礼、ショーンの置いたビスケット(Kimberley biscuitって定番お菓子だそう)で聖体の秘跡を受けて生まれ直す。
またコットら登場人物はアイルランド語(アイルランド・ゲール語)、教科書やTVは英語。時は80年代、そこにも抑圧と抵抗の構図があった。緑、そして白と黄色のワンピースはアイルランド国旗のよう。牛の乳は牛が飲むべきという言葉はアイルランドそのものではないか。尚更あのラストに震える…すげえ映画だ。
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