デニロ

コット、はじまりの夏のデニロのネタバレレビュー・内容・結末

コット、はじまりの夏(2022年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

予告篇を観ながら、両親の手に負えなくなったお転婆な女子が親戚に預けられ、ひと夏を過ごすうちに愛情とは何かを感じる話なのかと変換していた。そんな涙もののお話しか想像できない貧困なわたし。全く違う物語。原題は、静かな女の子、というものだそうで、確かに静かな女の子の物語りでした。

沢山の兄妹姉妹に囲まれるコット。子沢山の夫婦の間は隙間風が吹いている。父親は賭け事や他所の女に現を抜かしていて役に立たず、母親もただいま妊娠中で仕事に子どもにてんてこ舞い。誰か一人に構っていられない、宿六もいるし。出産まで従姉妹がひとり預かってくれることになった。コットだったら手がかからないだろうと、従姉妹/アイリンとその夫ショーンのもとに預けられる。大きくなったわね、覚えてる?とやさしく微笑むアイリン。コットの身なりを見てだろうか、お風呂に入りましょう、と身体を洗ってあげて、髪も梳いてあげて、きれいになったわ。そして、この家には秘密はないの。秘密を持つことは恥ずかしいことなのよ、と言い諭す。そんなふたりを横目で見て無関心を装うショーン。

コットに与えられた部屋は男の子の好きな壁紙で彩られていて、与えられた衣服も少し大きめの男の子のもの。そんな恰好でアイリンとショーンと一緒に暮らし始めるコット。アイリンと水を汲みに行ったりジャガイモの皮を剝いたり掃除をしたりして馴染んでいくコット。ある日、ショーンが牛小屋で作業をしている姿を見て手伝う意思を見せる。暫らく一緒に牛舎の掃除をしているのだけど、コットがいつの間にか見当たらなくなっていることにショーンが気付く。慌てたショーンはあちこちを探し回ってコットを見付けると、強い口調で叱る。でも、次の日にはコットの前に小さなサンドクッキーを置いてくれるのです。

ショーンの怒りの事情は近所のスピーカーおばさんから明かされる。

近所の葬儀にコットを連れて行くことになったんだけど、そこで別の用事が出来てスピーカーおばさんに預かってもらうことになる。そのおばさんがまたコットにいろいろと質問しまくるけど、口数の少ないコットですものおばさんは手応えがなくて面白くありません。遂には言ってはいけないこと、ふたりの間には男の子がいて肥溜めに落ちて死んだんだよ。

何か聞かれた?とアイリンに訪ねられたコットは、男の子がいて、肥溜めに落ちて死んだって。わたしの着ている服はその子のものなの?子供が消える、それがこの家の大人の秘密。もう二度とあってはならないことなのです。アイリンは部屋に引きこもり、ショーンはコットと外に出る。ショーンは言う。沈黙は金。余計なことを話して大きなものを失くしてしまうことはよくあるんだよ。

この辺りからアイリン、ショーン、コットの三角形が緊密になる。ショーンに足が長いから駆けっこも速いんじゃないか、門まで走っていって郵便物を取っておいで、そう言われてコットは走る走る走る、昨日よりタイムがいいぞ、そう言うわれて含羞む。死んだ息子の洋服で日曜礼拝に行くのはどうかと思う。ショーンはアイリンにそう言う。大人の秘密も溶け出したようだ。いい方に。

そんな風にしてひと夏が過ぎ、約束の日がやって来る。もはや別れがたいのだけれど、それを誰も口にしない。ふたりに送られてコットは自分の家に戻る。相変わらず雑然としている自分の家。モノが置きっぱなしになっている食卓を指でなぞる。埃だらけ。お母さんは赤ちゃんを抱いていて、弟だよ。じゃあ、そろそろ行こうかと、アイリンとショーンは車に乗り込み、走り去っていく。門までの長い一本道。静かに見送っていたけれど、コットは駆け出す。お前は足が長いから、駆けっこも速いだろう、ショーンの言葉を思い出す。コットは言い残したことを伝えようとしたのか、堰を切ったような勢いで車を追う。門の閂を開けていたショーンは駆けてくるコットに気付いてもはや抱き締めるしかない。

コットを追ってきた父親をショーンの肩越しに見やりながら、ダディと咽ぶコット。

その後がどうであったのか、兎も角、これは1981年夏のコットとショーンとアイリンの物語りだったのです。
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