Yukiko

アイルトンセナ 〜音速の彼方へのYukikoのネタバレレビュー・内容・結末

4.3

このレビューはネタバレを含みます

2020年5月24日
『アイルトン・セナ~音速の彼方へ』 2010年イギリス制作
監督、アシフ・カパディア。

F1ドライバー、アイルトン・セナのレーサーとしてデビュー
から1994年に事故死するまでを描くドキュメンタリー映画。


セナやシューマッハ、中島悟の名前は知っている。
F1ドライバーって皆カッコイイよね。
しかし、テレビでF1のグランプリレースを観ていると、
リタイアしたり、壁にぶつかったりと事故を見ると
暗澹たる気持ちになる。
セナも34歳の若さで亡くなったのね。
ブラジルのヒーローだったことを知る。
このセナの死をきっかけに、安全対策が図られ、
その後はレース中の死亡事故は無くなったと映画で
語っている。

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<アイルトン・セナ> 映画鑑賞&Wikipediaより抜粋

アイルトン・セナ・ダ・シルバ。
ブラジル、サンパウロ市生まれ。
地主で工場経営者で資産家の父と母の長男として生まれる。
姉と弟の3姉弟。
4歳で自動車とモータースポーツに興味をもつ。
運動協調性の問題があり3歳でも階段を登るのが苦手だった。
愛称「ベコ」
7歳でジープを運転。
経営学の大学に進むが3カ月で退学。
1977年にカート選手権に出場。
1978年~1982年、世界カート選手権に参戦。
1981年、フォーミュラカーレース参戦。チャンピオン。
   家業を継ぐために一時引退する。
1982年、再びフォーミュラカーレースに出場。チャンピオン。
1983年、イギリスF3選手権に参戦、チャンピオン。
  マカオGP参戦、優勝。
1984年、トールマンからF1デビュー。
   この年、ランキング9位。
1985年、ロータスからF1参戦。
   ポルトガルGP、F1初優勝。
   この年、ランキング4位。
1986年、ロータスのNo.1ドライバー。
   この年、ランキング4位。
1987年、チームメイトにF1ルーキー中島悟が加入。
   ホンダエンジン使用する。
   モナコGP・デトロイトGP、タイヤ無交換で2連勝。
   この年、ランキング3位。
   ホンダがマクラーレンと提携しエンジン供給パートナー
   となると発表。セナ移籍を発表。
1988年、マクラーレンに移籍しての参戦。
   アラン・プロストとコンビを組む。
   2台のマクラーレン(アラン・プロストとセナによる、
   そしてホンダエンジン)優勝争いが再三行われた。
   日本GP、セナ優勝。
   この年、初のワールドチャンピオンとなる。
1989年、カーナンバー1をつけて登場。
   サンマリノGP、優勝。
   しかし、このレースでセナとプロストの溝は深まる。
   日本GPにてセナはレース後に失格処分となる。
   プロスト、フェラーリに移籍。
1990年、開幕直前にスーパーライセンスを発行許可される。
   この年、2度目のチャンピオンとなる。
1991年、開幕4連勝。
   第2戦ブラジル、ギアボックストラブルにより、終盤に
   6輪のみでの走行、優勝。念願の母国初優勝を達成。
   ハンガリーGP、直前に本田宗一郎死去。
   セナ、喪章をつけて参戦、優勝。
   この年、3度目のチャンピオン。
1992年、マンセルのハイテク搭載の圧倒的な戦闘力に対して、
   セナのマクラーレンは劣勢となる。
   この年、ランキング4位。
   ホンダ、F1活動を一時休止を表明。
1993年、フォードのエンジンを搭載。
   マンセルがCARTに転向、プロストがルノーにて復帰。
   セナはブラジルGP・ヨーロッパGP・モナコGPにて優勝。
   しかし、セナはこれ以降、不振が続く。
1994年、ルノーへ移籍。
   レース中に死亡事故発生!それを知り、セナは心理的に
   不安定となり「走りたくない」と漏らす。
 時速312kmで走行中、舗装の継ぎ目で突然不安定となり、
 アウト側に向かい直進、コンクリートウォールに激突。
 大破したマシンのサスペンション部品がヘルメットを貫通。
 ヘリコプターで運ばれるが死亡。
 34歳。
Yukiko

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