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パスト ライブス/再会のdojiのネタバレレビュー・内容・結末

パスト ライブス/再会(2023年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

はっきり涙が出てしまったのが、ヘソンが不安そうにノラが来るのを待っている再会のシーンと、ノラがヘソンを部屋に連れていった時にふたりを迎えるアーサーの表情、ヘソンが「その時に会おう」と別れるシーン、そしてノラがアーサーのもとに帰った時に涙を流すシーンだった。なにが共通しているかといえば、たぶんどのシーンも登場人物たちが自ら痛みを引き受けようしていたからだと思う。

前世の縁=イニョンが繰り返し語られるたびに、とても現実的なタイミングや条件のようなものが結びつきをつくっていく結婚というもの、そのふたつは果たして矛盾するのか、もしくは同時に存在することは可能だろうか?というのがこの映画のテーマなのだと思った。ラストで3人は、イニョンのようなものと、現実的な結びつきが、はっきりと人生には混ざり合っていることを認める。その上で、「別の人生で会おう」とヘソンは別れを告げ、アーサーはノラのなかにあるイニョンを確かめた上で、ふたたび夫婦としての人生を歩んでいく。

冒頭、ヘソンとノラとアーサーの3人がバーカウンターにいる姿を、他者がどんな関係なのかを勘繰る声からはじめる。そしてノラはその声の方、つまりその声が代弁しているスクリーンのこちら側に目を向けている。なぜ、わたしがこんなことをしているのか、あなたにはわかる?と語りかけられているようだった。

結婚しているひとと会うのはおかしいとか、かつて思いを寄せた人に会いにいくのを認めるなんて変だとか、たぶんそういった意見が冒頭の声に内包されているのだろう。それをわかったうえで、ノラはヘソンに会いにいくし、アーサーはヘソンに会いにいくノラをゆるす。結婚はしている、それと同時にイニョンが存在していることも感じている。「そんなのおかしい」という声で無視するのではなく、対峙しようとする意思がノラにはある。ウーバーが来るまでのあいだ、ノラとヘソンは真正面から対峙したあとで、「次の人生で会おう」と、現世のふたりをはっきり諦める。それがどんなに痛みをともなうとしても、向き合わなくちゃいけない別れだったんだろうなと思う。

どちらかといえばヘソンの立場に近いようなことがぼくにもあって、ぜったいに会いにいくことはしないでおこうと決めていたのに、ノラの立場のひとから、会おうと連絡が来たのだった。なんというか、この映画のように、ヘソンから会いに行くのはわかるんだけど、ノラから連絡して会いに行くのはやっぱり違うよなと思う。ヘソンとノラの立場には非対称性があって、それをわかった上でヘソンは、前に進むための痛みを自ら引き受けに行く。ノラがイニョンを確かめたいからと会いに行っていたとしたら、アーサーもヘソンも傷つけていたと思うので、この映画の筋書きは正しいし、ノラの対峙が美しい決断としてみることができるのだと思う。これは余談だけど。

grizzly bearのスコアがすばらしすぎて、『c'mon c'mon』以来の大のお気に入りになってしまった。ラストはcat powerを聴く気満々だったのにsharon van ettenが歌いはじめてあれ?となった。どちらも大好きだけれど、予告で本編に流れない楽曲を使うのはなんだかなぁと思う。
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