Kei

ミツバチと私のKeiのレビュー・感想・評価

ミツバチと私(2023年製作の映画)
4.0
性自認に悩むルシアの物語。
母親と2人の兄妹で母方の実家に帰省することになったルシアは、プールに行くと男であるために自分の上半身を見せなければならず、それが嫌であるため兄妹や知り合いの子供たちと一緒に帰省先にあるプールに行くことを拒む。
母親に説得され仕方なく赴いたプールでは常に上半身を隠し、居心地悪さを感じ続ける。
プールから帰った後もルシアの性自認に関する悩みは尽きず、「自分は何者であるのか」について悩み続ける。
作中には題名にも含まれているミツバチが幾度となく出てくる。
叔母はミツバチにはそれぞれ役割があることをルシアに教える。
本作においてミツバチは、自分が何者であるかを自覚している人間のメタファーとなっており、そうした役割を自覚し生きるミツバチ(=自分が何者であるかを自覚している人間)と自分が何者かが分からないルシアを対比させることでルシアの性自認に関する悩みを強調していた。
ルシアが抱える性自認に関する悩みは必ずしも鑑賞者が抱える悩みではないが、社会からありのままの自分を認められず、自分とは違う何者かになることを求められている現代社会に生きづらさを感じている人は鑑賞者の中にも多いと考えられるため、多くの人が共感する点を見つけることが出来る作品だったのではないだろうか。
作品では、ルシアが男ではなく女であると自認することがルシアにとっての結論であったと描かれていたが、私はルシアにはもっと自由になって欲しいと思った。
人は男か女の二つに分ける必要は本来全くないのだから、ルシアは「自分は女である」と社会が決めた枠にはめて自身を規定するのではなく、自分をただ自分として認めその存在を全肯定して欲しいと思った。
ベルリン国際映画祭で最優秀主演俳優賞を受賞したのはルシアを演じたソフィア・オテロであったが、ルシアの母親・アナを演じたパトリシア・ロペス・アルナイスも、息子の性自認に困惑する母親を上手に演じていたと思う。
作品全体を通して音楽はとても少なかったが、そのおかげでルシアの細かな表情、態度や、そこから伝わる心の機微に気づくことが出来たと思う。
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