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妖怪の孫のchiakihayashiのレビュー・感想・評価

妖怪の孫(2023年製作の映画)
3.8
@さくらで見る会(渋谷・さくらホールでの特別先行上映会)
 アベ政治の負のレガシーをおさらいするようなドキュメンタリー。間口の広い映画だ。監督の言葉を拾えば、「〈反安倍〉を掲げる気は全くないですし、むしろ、何をしたかという事実のみをきちんと並べてみたかったという気持ちの方が大きいです」「とにかく社会全体がなれ合いすぎているというか、見て見ぬふりをしていることがとても多い感じがしていて、その始まりが全部安倍さんであるということは、みんなが感じている。それならば、それは何だったんだろうかということを問うべきだなと」。

 記憶の彼方になっていたことも(^_^;)知らないこともたくさん。
 内閣法制局長官の首をすげ替えての集団的自衛権の行使を認めた安保法制(戦争法)は、覆面インタビューに応じた現役官僚にとっては彼らのアイデンティティーを覆すほどのあり得なさだったとか。失敗だったと岸田政権が認めたアベノミクスは当のアベにとっては「やってる感」さえあればいいものだったとか。憲法改正に躍起になったのは、母親に愛されなかったという恨みから祖父・岸信介を超えるためだったとか。
 下関市のアベの自宅放火未遂事件についても触れられている。犯人がアベを恨んだ理由は???

 「悪夢のような民主党政権」時代に「本気のメディア対策」を始動、党本部からの動画配信から吉本新喜劇の番組への出演、アベが主役のゲームアプリ(!)まで。生活保護を「ナマポ(生保)」と呼んで受給者を貶め、カットしたのもアベ政権。さらに旧統一教会や日本会議による夫婦別姓反対や反LGBT運動といった家族に関わる政策の歪み。一方、再生エネルギーや電気自動車などに見られる「経済的なチャンスを逸している政治」。自民党の利権と癒着。文書改竄に黒塗り。つまりは政治家でありながら、ルールをどう破ったか、それをいかにはぐらかし、誤魔化したか。

 それでも、フクシマは「アンダー・コントロール」とウソをついて誘致した東京オリンピックに、「アベノマスク」というみみっちいコロナ対策の失敗などは抜け落ちている(ちなみにアベノマスクについては「神戸学院大学の上脇博之教授がマスクの「単価」と「数量」の開示を求めて起こしていた訴訟で・・・2年5ヵ月にわたる審理のなかでは、布マスク全世帯配布は現場との事前のすり合わせがなく、首相官邸からのトップダウンで命じられた事業であったこと、布マスク調達において値段交渉が行われず、業者の言い値で買い取っていた実態も浮き彫りになっている」https://news.yahoo.co.jp/byline/akazawatatsuya/20230228-00338869)。やれやれ。

 それにしても、息を吐くように嘘をつき、街頭演説で国民を指差して「こんな人たち」呼ばわりしたアベに、例えばコロナ対策だけでも失策続きであるにもかかわらず、バックレて「やってる感」で煙に巻いている大阪府知事−−−−。まだ、このふたりは政治家失格感がわかりやすいのかもしれず、「戦後の安全保障政策を大きく転換する」安保関連3文書についてのキシダ現首相の記者会見を分析した憲法学者の蟻川恒正さんのレクチャー(立憲デモクラシー講座https://www.youtube.com/live/bmJN4daNzu4?feature=share)などを聞くと、愕然とする。キシダが何を語らなかったか、どんな議論をすっ飛ばしたか。首相が平然とスルーしたことを国民がそのまま放置しそうな事態こそが怖ろしい・・・・・・。

 『パンケーキを毒味する』(’21)に続き、〝本丸〟攻略の映画を撮ったテレビマンユニオンに属する監督曰く「本来はテレビの2時間の特集番組でできることなのですが、今のテレビでは絶対できない」。急逝した河村光康プロデューサー−−−−近年では『新聞記者』(’19)が名高いが、ヤンヨンヒ監督の劇映画の佳作『かぞくのくに』(’11)のプロデューサーでもあった−−−−の意志を継いで、元経産省官僚の古賀茂明さんが企画・プロデューサーに。その後も完成、配給にこぎつけるまではさんざん浮き沈みがあった模様。

 途中、〈不寛容〉や〈自己責任〉などが日本人に取り憑いている妖怪としてアニメーションで挟まれ、それがちょっとした息抜きにもなっている構成。でも、そのような社会的心理がアベ政治の原因でもあれば結果でもあるという視点に落とし込んでいる限り、ニッポンの政治を変えていく方向性は見えてこないのではないかしらん。その程度の〝サルでもできる反省〟(お猿さん、ゴメンナサイ!)はアベ政治に対する分析や批判的な検証の切っ先を鈍らせてしまうのではないかなぁ・・・・・・。

 実は監督は映画のラストをどうするかさんざん迷ったあげく、自身の不安、ことに自分は娘を守れるか、という恐怖を吐露して終わらせている。なにしろ旧統一教会が報道機関に行なった嫌がらせ以上の脅迫だってあり得るのだ。この監督の不安や恐怖は、アニメーションで「セメ・テクール(攻めてくる)」という妖怪として登場し、〝我が家を守ろうとするお父さん〟をパニクらせる(そう言えば、アベは選挙の際に「北朝鮮」と「少子化」を「国難」と呼んだっけ)。

 これに対して、上映後のトークでは、登壇した古賀茂明さんが警察から「公共交通機関を利用せざるを得ないのなら、両手を上げてつり革を持つように」というアドバイスを受けたと紹介した。痴漢冤罪で陥れられるのを防ぐためだという。
 これは笑いをとって緊張をほぐそうとの意図があったのかもしれないが、ようやく痴漢が犯罪だと認識されるようになったのに、暗黙裡に被害を訴える女性の方をまた〝悪者〟にする構図にハマっていないだろうか? むしろ実際にこれまでそのような痴漢冤罪があったのか、あったとしたら誰が誰を狙ってどのように企んだのか、メディアならファクトを追求すべきではないか。妖怪セメ・テクールはそんなふうにしか撃退できないのではないだろうか。
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