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カリスマ~国葬・拳銃・宗教~のTのレビュー・感想・評価

5.0
2022年、旧統一教会信者の家庭で育った山上が拳銃によって元総理大臣の安倍晋三を射殺する事件があり、ほどなくして安倍の国葬が執り行われた。
この一連の出来事を、"国葬・拳銃・宗教"に分解し、それぞれを吉田茂の国葬、拳銃魔永山、千石イエス騒動と対比させる。
更に、これらの中心に「自分は自分の人生の主役(カリスマ)か?誰かの人生の脇役(エキストラ)か?」という問いを配置し、3つの出来事を再び結び合わせる。

以下、拳銃と宗教の結びつきについて覚えていることを要約する。
・事件を起こした永山に対し、周囲は「そんな人に見えなかった」と語る
・イエスの方舟の女性は、千石のもとで共同生活し聖書を学ぶことで新しい自分と出会えると語る
これらの事項を「それは本当の自分ですか?」というインタビューや、菅田将暉をカメレオン俳優として尊敬する冒頭のエキストラ俳優の回答を挿入して印象付ける。
また、
・永山は過酷な家庭環境(ギャンブル狂いの父、育児放棄した母、暴力を振るう兄、精神病の姉)から逃避した
・イエスの方舟の女性も、両親の価値観と合わず家から逃避した
という事項には、台本にないことをしてやりがいを感じたエキストラのインタビューを引用する。
以上を踏まえて「自分が主役として生きるとき、各個人を脇役に押し留めようとする社会から逸脱する」というテーマが掲げられ、逃げた先に拳銃や宗教を配置していた。
永山の「蟻は一匹だと可愛いが群れると気持ち悪い、人間も同じ」という詩とともに映るアリの映像が印象的。

ここまで書いたことだけで十分面白いドキュメンタリーだったのだが、欲を言えば、これら2つ(拳銃と宗教)と"国葬"がそれぞれどう関連しているのかについては、より深堀りしてほしかった(自分が読み取れていないだけかもしれない)。

主役・脇役による比喩と社会との関連は、冒頭の「我々は社会という舞台でエキストラのように日々を生きていないか?」という問いからして密接だった。

しかし、社会を逸脱した山上が銃口を向けた先が他の誰でもなく元総理大臣だったことや、千石の妻が語った「(宗教は国家との結びつきを志向するため) 宗教は嫌い」という発言など、拳銃・宗教と国家(あるいは国葬)との関連はもっと見たかったように思う。
(吉田茂の国葬との対比が、永山や千石との対比ほどは効果的に見えなかったということかも…)

「政治に何を期待するか」という問いに「何も期待しない」と答えた人、あるいは「あなたは何者か?」という問いに「普通の人」だと答えた人は、"国家においての"脇役なのだろうか?
国葬の現場や反対デモの中ではそうかもしれないが、おそらく同じ答えを返すであろうその他大多数の人にとってはどうだろうか?

佐井監督はADとしてエキストラに間違った演技指導をして監督に怒られたそうだが、社会において脇役が逸脱した際に最も怒るのは国家、あるいはその監督である総理大臣なのだろうか?(実は脇役たちかもしれない)

「あなたの人生の主役は誰ですか?」という質問に対して「誰しも自分が主人公です」と答えた人が、「あなたは何者か?」の問いには脇役のように「普通の人です」と回答していたのが面白かった(確か陰謀論を唱えていた人…)。
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