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自分革命映画闘争のnetfilmsのレビュー・感想・評価

自分革命映画闘争(2023年製作の映画)
3.8
 神戸芸術工科大学のキャンパスは何やら物騒だ。学生たちは次々に吸い寄せられるようにある教室へと向かう。狂った男の籠城する教室へ。彼らが目にするのは、神戸芸工大映画コース教授石井岳龍の半狂乱に陥った錯乱した姿だ。まるで『SHUFFLE』のように銃口を口にくわえた石井は次の瞬間、生徒たちに拳銃を向ける。これは『高校大パニック』の教師と生徒とが入れ違いではないか?そう思う矢先に彼は窓から飛び降り、唐突に走り始める。大学教授として、自ら掲げる自分革命映画闘争ワークの実践に駆られ、生徒たちに教える一方で狂的状態に陥り、突如失踪してしまう。これは困ったことになった。大学の同僚の武田助教や助手の谷本は、彼が残した『個の想像力や認識の拡張、意志の強化を目指す内意識革命の為のワークテキスト』を振り返り、彼の思想の断片を拾い集める。生徒たちにもインターネット上のファイルを拾い集めさせながら、失踪の理由を探らんとする。いったいこれは今、我々は何をスクリーンで見せられているのだろうか?監督兼主演の石井岳龍は忽然どこかに消えた。プロの俳優ではなく、神戸芸工大映画コース周辺の人々が彼の追及を始める。教え子たちは思い思いに自分革命映画闘争ワークに取り掛かり始める。

 今作は石井岳龍からのこの度退任が決まった神戸芸工大映画コースへの細やかなプレゼントなのだが、いやぁしかしとんでもない映画である。観客は何の思い入れもない学生たちのクローズ・アップや棒読み演技を延々と見せられるのだから。突如ミュージカル風にみんなでラップしたかと思えば、各々が監督についての印象を語り出す。純度が高いのか低いのかさっぱりわからない。その上フレームの中に突如登場する大きな文字は庵野秀明みたいだ。『シン・ウルトラマン』は庵野ではなく石井が監督すべきではなかったか?一方、武田は失踪した石井の影を追い、やがて謎の洞窟探検にまで至る。暗闇の中に光を探し求める姿は『エンジェル・ダスト』の冒頭そのものだ。幽閉された個人の意識と暗闇の孤独。映画を照らす光と影のような根源的な世界。石井の見つめる映画とは、心理学的な自己探求でもある。ひたすら自己の内面を見つめ、自傷と治癒とを繰り返しながら最終的に解脱する。そう言えば『エンジェル・ダスト』のロケ地は、あのオウム真理教の教団施設があった上九一色村ではなかったか?メタ認知による自分探求はインナートリップの彼方から内なる自分を見つめることに等しい。

 「監視される側」かしばしば「監視する側」に回るという肥大化するシステムの欺瞞はフーコーの引用で(この教育テレビ風の説明がバカっぽさに拍車を掛ける)、一通り説明が終わる段になると石井監督は満を持して安部公房の「箱男」を登場させる。ご家族から映画化権を買い取り、ロケ先であるドイツに飛び立ちながら撮影初日に製作費の工面がままならず、あえなく頓挫した安部公房の「箱男」の物語のさわりを石井は巧妙にメタ・フィクションの中に忍ばせる。ある意味監督にとってもこれまでの自身のキャリアの総括と次なる未来への探求の始まりと見た。そこに神戸芸工大映画コースのスタッフたちの力が結集し、コロナ禍で撮影がままならない時期を乗り越えて、足かけ3年かけて完成を迎えた。後半の「スタート」の掛け声の無限地獄のようなループと、スクリーンに刻まれる学生たちの苦悩や足取り。そして巧妙に不在となる石井監督の茫漠たる足取りは劇画的に感動的だが、正直言って165分も我々はいったい何を見せられているのかという思いは拭えなかった。石井岳龍版『8 1/2』か『TAKESHIS'』だと思えばわかりやすい。石井監督には死ぬまでに安部公房の『箱男』の映像化だけは完遂して欲しい。
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