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自分革命映画闘争の教授のレビュー・感想・評価

自分革命映画闘争(2023年製作の映画)
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近年の「映画作家たちの遺言」めいた、あるいは映画という表現の「晩年」を見据えた作家の「集大成」的な一本を、まさか石井岳龍監督も、彼なりのやり方で撮ることになるとは、という驚き。

今後のフィルモグラフィがどう変遷していくかは未来のことなのでわからないが、少なくとも本作は徹頭徹尾、最も好き放題にやり散らかしている映画であることには変わりはない。

石井監督の作品は、作品の出来不出来に関わらず僕自身の血や肉になっているので、あまり言いたくはないのだが、映画自体を「面白く」見せることに対しては「上手」な監督ではないと思う。
これは常々これまでのレビューでも書いてきたことだが、ディテールやテーマはむしろ俗っぽい。

その俗っぽさが俗っぽいまま出てしまうと途端に退屈になる。
約3時間弱の長尺の本作は、特に明解なストーリーもない中で展開される上に、いわゆるプロの俳優は誰一人出ていないので、それは極端に露呈してくる。

これは石井監督が17年間、教授として在籍した「神戸芸工大映画コース」の関係者だけでスタッフもキャストも兼任しての「壮大な」自主映画という性質を持っていて、それもまた「壮大さ」においてデビュー当時の石井監督のルーツ的なものに接続もしている。
ただし、例えば「狂い咲きサンダーロード」の頃とは違い、さまざまな作品を撮り、外部への破壊衝動だけでなく内的なスピリチュアル、オカルト、SF的な要素も全部ごった煮的に投入されている。

正直に言えば…そんな作品がめちゃくちゃになることはあっても、普通に考えて面白くなることはない。
そして例に漏れず、本作は「面白さ」におおいては相変わらず大失敗なのだが、そもそもの部分で「面白さ」の質が違い過ぎる。

本作を観てより感じるのは「映画」が映画のための「目的」ではなく、常に「手段」として個人的な情動を優先し、個人がキャッチできる「世界」や「社会」を映し出そうとすることを優先していること。
そのための「チープさ」に対しては、何の恥じらいも衒いもない、という突き抜け方は相変わらず。

「Like a Rolling Stone」や「Like a Hurricane」というテロップもそうだし、ダメ押しで「Break on the through」と出てきた時には「もうダメだ」という思いと「やり切った」という両方の思いが去来する。
あまりに形骸化した前時代的なロックフレーズを堂々と標榜している「ダサさ」は否めない。しかし一方で今も尚、石井監督の作品の影響が自分の核心から抜けきれないのと同じように石井監督にもこれらのロック的指針というのが生き続けているというどうしようもなさでもある。

何とも手のつけられない映画であるが、何よりも66歳の大ベテラン監督が、当時とまったく同じか、むしろそれ以上の熱量で「自主映画」らしい味わいと攻めっぷりをもって自分語りをやってのけていることは、個人的には賞賛したい。
多くの人が「どうせ面白くないと言うんだろうな」と思うけれど、それ故に僕にとっては大事な作品になったことは事実。

追記:
「爆裂都市」でロックに目覚め「水の中の八月」で映画の凄さを思い知った小僧だった自分が40代も半ばになり、初期衝動も畏れもなくして本作を「偉そうに」評していることの恥ずかしさの方が勝っている感情がある。
ただその「偉そうに」語ることが僕の現在地であり、しかし内実はその「ロック小僧」や「映画少年」を延命させながら生きている点で、石井聰亙、ならびに石井岳龍監督に頭が上がらない。
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