日本のとある全国紙は「過去に戦地で記者を失ったからウクライナには取材に行かせない」らしい。
命がけで撮影したムービーとスチールのカメラマンだけでなく、空爆が続くマリウポリから彼らを引き揚げさせなかったAP通信の編集部がすごいと思った。
現地と編集の信頼関係と連携のすばらしさがやり取りの記録から伝わってくる。
「この惨状を撮影してロシアに見せてくれ」という医師なども印象的だった。「伝えなければ助からない」と取材に協力してくれる人たちがいなかったらこれらの映像は撮れなかったし、データを編集に送ることもできなかったのだから。
犠牲者一人ひとりに名前があり、生活があり、家族や友人がいる。何万人が亡くなった、という数字だけでは現実に起こっていることの痛ましさを想像するのが難しいし、他人事のように死を遠ざけてはいけない。だから記者は取材相手や犠牲者の名前をたずねる。
顔にモザイクがかかると「このあと亡くなってしまったんだな」とわかりつらかった。日本のメディアはご遺体を映せないが、傷跡にボカシなど入れて配慮しながらできるだけそのまま流していた。
ときどきカメラマンが目を背けたくなり病室を出てカメラを置くところもとても生々しい。
自分なら安全と言われていた病院にしばらくとどまって取材をあきらめてしまうかもしれない。命あっての取材活動。自身も仲間も無事であり続けながら記録するのは並大抵のことではない。