Kuuta

マリウポリの20日間/実録 マリウポリの20日間のKuutaのレビュー・感想・評価

4.2
「街が死んでいく20日間」を、メディアで唯一マリウポリに残ったAP通信記者の映像で伝えるドキュメンタリー。貴重な映像だけで充分に見る価値のある作品だが、特に優れていると感じた点を2つ挙げたい。

・適当に繋いでも1時間半「持ってしまう」ほど強烈な映像を持つチェルノフ記者が、何を軸に作品をまとめたのだろうかと、考えながら見ていた。

終盤のナレーションで明らかになるが、それはマリウポリという街を1人の人間に見立てることだった。ロシア軍は最初に郊外のアンテナを破壊し、通信網に打撃を与える。ショッピングモール、消防署、病院。街を支えるインフラが一つ一つ機能を失う「マクロな死」を記録している。

こうしたハード面の破壊と並行して、ソフト面の破壊、すなわち市民の命や生活、希望が潰えていく瞬間を捉えている。さっきまで生きていた人の命が終わる、シンプルで残酷な変化をカメラに収めている。繰り返される生から死への移行が、出産のシーンで転倒する構成も見事だ。

印象的なのが子供の遺体の足をアップで収めるショット。「動かなくなった身体の一部」が、その裏で街が直面している無数の死と絶望を物語っている。街が死ぬとは、マクロな死とミクロな死が同時に訪れること。街に広がる墓標を捉え、映画は終わる。

・今回の戦争は市民の間に完全にSNSが普及した社会で起きた初の侵略戦争で、大量の現地映像がネットに上げられた。メディアがカバーしきれない事実が拡散された一方、映像の加工に始まるフェイク動画の流布やプロパガンダ合戦が巻き起こり「SNS戦争」とも称された。ロシア軍機を次々に撃墜したとして世界中で話題になった「キエフの亡霊」は、のちにゲームの映像だったことが分かった。

「映画のような」非現実的な戦いが実際に起きている一方、中にはフェイクも混ざっており、フィクションと現実の区別がつかない。そんなクラクラ感の中に私たちはいる。

例えばこのYouTube動画は象徴的で、ウクライナ国歌に軍の映像を重ね、ハリウッド映画の予告風に勇ましく音ハメしている。
https://youtu.be/NqNIZnKmC6w?si=ssIxTYnA1k6dSwAr

こちらはロシア軍の勧誘CM。よく出来ているが、映像だけだと戦争ゲームの新作?とすら思えてしまう。
https://youtu.be/PvKdiQUbXoY?si=1viTIVFXyEDyi3g6

セルゲイ・ロズニツァは2018年の「ドンバス」で、嘘が嘘を再生産する底なし沼を「現実のような演劇」を通して描いている。何がフェイクか真実か、誰も答えを持たないこの地域の絶望を浮かび上がらせる作品だった。

しかし今作は、この戦争が決定的に広めてしまった「フィクションと現実は判別不能」という「ドンバス」的諦観に正面から対峙する。心はどうあれ、カメラは記録してしまう、というナレーションがあった。

今作はマリウポリの現実をただ叩きつける。名前をフルネームで確認するのは、匿名ではない人の存在を伝えるためだ。これがフィクションだと言うのか?と。「彼の映像は加工されている」と言い張るロシア高官との対比が強烈で、現場で愚直に体を張る、報道の王道を貫いたチェルノフ記者の姿勢は、この戦争の病理に対抗する唯一のワクチンに思えてならない。
(その点、BGMが過剰気味だったのは、映像の力で現実を伝える今作の本旨から外れており、やや残念だった)
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