アー君

ゴッドランド/GODLANDのアー君のレビュー・感想・評価

ゴッドランド/GODLAND(2022年製作の映画)
3.6
脚本・監督であるフリーヌル・パルマソンはアイスランド人でありながらデンマークに住んでいた経験があったからこそ彼ならではの半生を客観的に映画を通したコミュニティ(地域社会)の問題を描いた作品であった。

[↓以下ネタバレを含む内容がございます↓]

上司から布教活動として異国の地へ踏み入れるのは、誰だって苦労はするし同情はするが、日本ではスポーツ選手の渡米による大活躍などもあるので、(通訳は違う意味で話題ですが。)頑張れば乗り越えられる筈だけど、ルーカスはラグナルとの相性よりも、元からの人間性がどこか欠如していた点もあり、例え聖職者であっても過ちを犯すのは環境による影響ではなく自然に起きることではないだろうか。

冒頭の湿板カメラで撮った7枚の写真の話から進める筋書きには、あたかも史実による影響から作られたように見せかけるフィクションの描き方には面白味があり、アイスランドの映像も美しく官能的で見応えはあるが、肝心のテーマが宗教批判もあるのは分かるが誇大的なのか、作家として言いたい事が漠然としており、抽象的で散漫な印象も少なからず感じられた。

この映画を知る上で歴史的な背景を知らないと分かりづらいのではないかと思う。当時のアイスランドはデンマークの統治下であり、宗教的にはプロテスタント同士でありながら、アイスランドは北欧神話による土着的な根深さが残っており、ルーカスと対立するラグナルの名前はおそらく(Ragnarök ラグナロク)のモジリからのネーミングである。

アイスランド語とデンマーク語の翻訳の違いを〈 〉で分けていたが、分かりにくいとまではいわないが、個人的には配慮が少し足りない処理であった。例えばデンマーク語を横書き、アイスランド語を縦にする処理や書体を変更する方法もあったのではないかと思う。また異論はあるだろうが、デンマーク語だけを異例の日本語吹き替えにする方法も冒険ではあるが可能であり、この映画に深みを与えたのではないかと思われる。

このテーマのひとつであろう言葉の壁という問題は、映画ではどちらの言語も翻訳により理解をしてしまう日本人としては、映画を観ている側の解釈は北欧諸国との温度差はみられるだろう。

ちなみにデンマーク語とアイスランド語は、いくつかの重要な違いがあり、デンマーク語はスウェーデン語やノルウェー語と非常に似ているため、これらの言語間同士での相互理解が可能でありながら、アイスランド語だけは古ノルド語の特徴が強く、他の北欧言語とはかなり異なっており言語学者として興味深い対象である。

鑑賞中にどういうわけかルーカスと弘法大師空海を比べてしまった。空海は留学のために異郷の地へ赴き密教を学び、最高の知識人として迎え入れられたが、彼には人徳と柔軟性があったが、ルーカスはレールに引かれたエリートコースのありがちな挫折であるが、繰り返し述べる事になり恐縮であるが、言葉では説明ができない何かが足りなかったのだろう。

お互いの確執は風土や言語が異なる意思疎通による隔たりがあったが、ラグナルは最初からルーカスの言葉を理解していたのが大きなシニカルである。やがて彼(ら)に起きる終焉は、アイロニーを幾分か交えた自然への還元ともいえるのではないだろうか。

[シアターイメージフォーラム 10:40〜]
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