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幻影は市電に乗って旅をするの一人旅のレビュー・感想・評価

4.0
ルイス・ブニュエル監督作。

メキシコシティを舞台に、解体が決まった市電を無断で乗り回す運転手・タラハスと車掌・フアンの姿を描いたコメディタッチのドラマ。
時代の波に直面し衰退していく市電。日本同様に当時のメキシコシティは市電から自動車が市民の足としての地位を確立していく過渡期にあったようだ。気障な男は市電を“ダサい”と言い放ち、自慢のマイカーをアピールして女をナンパする。老朽化して汚らしい市電と、隣に並んだピカピカのマイカー。新と旧の鮮やかな対比。過去の産物になりかけている市電に一抹の寂しさを覚えるのだ。
そうした中、時代の流れに逆らうように一両の市電が二人の酔っ払い乗務員の手により真夜中にこっそり動き出す。途中乗り込んでくる乗客たちの存在は大都会メキシコシティの縮図だ。屠畜場で乗車してきた労働者たちのエネルギッシュな振る舞い。突然演奏を始めたり、職場から掠めてきたのか、豚の顔だったり肉片を至る所に吊り下げたりする。そして、労働者はキリストの像を持った女を見て祈りを捧げ出す。物価が上がり、社会の底辺で生きる労働者にとって現実は厳しいものだが、信仰心だけは失われていない。素朴な暮らしと素朴な信仰こそが庶民の在り方なのだ。
労働者のそのような姿とは対照的に、資本家らしき男ははっきりとした口調と態度で労働者を軽蔑する。資本家が労働者を搾取するという社会構図が、市電の狭い車内に表出されているのだ。偉そうに英語を話すアメリカ人の女の存在も、当時のメキシコシティがいかに国際色豊かで、アメリカ的資本主義がメキシコ経済に深く影響を及ぼしていたのかを仄めかす。また、食料の確保に苦労する庶民と、不法に食料を買い占める悪徳業者で繰り広げられる乱闘騒ぎも、メキシコシティの病巣の一面を映し出しているのだ。
解体間近の市電が映すのはメキシコシティが抱える諸々の現実。階級間の対立構造、経済格差、物資不足、孤児問題、そして、逞しく生きる庶民の哀歓と信仰心。当時のメキシコシティの光と影の両面を映し出している。
そして、押し寄せる時代の波に一時の間必死に抗う市電は幻影。何事もなかったかのように迎える結末が、市電を現実のものから幻影に変える。幻影に乗車した乗客たちもまた儚く消える幻影に過ぎないのだ。
ルイス・ブニュエルの作品は小難しいイメージがどうしてもあるが、本作は全体的に明るくコミカルで人間味溢れる物語になっていて全く肩がこらない。
余談だが、『こち亀』に本作に似たお話があることを思い出した(知ってる人は少ないと思う)。少年時代の両さんが廃業の決まったトロリーバスを真夜中に動かし、傲慢な社長に一矢報いるという内容だった。こち亀では市電ではなくトロリーバスが主役だったが、本作の解体予定の市電に取って代わるのはトロリーバスだ。だが、市電の後継者であるトロリーバスでさえも、結局は流れゆく時代の波に乗り続けることができなかったのかと思うと一層の寂しさを感じてしまう。とは言っても、平成生まれの身としてはトロリーバスなんて一度も直接見たことがないわけですが・・・。
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