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夜明けのすべてのanneleia16のレビュー・感想・評価

夜明けのすべて(2024年製作の映画)
3.9
ケイコが「目を澄ませる=聴く」映画なら、これは「話す」映画なのだろうと始まった瞬間に思った
めっちゃ話すしめっちゃ文字出てくるし!どういうこっちゃ!と滝みたいな情報量とケイコとのギャップに最初はびっくりしちゃったけど、ちゃんと最後まで観ると、アダプテーションの正解を観たような感覚だった
原作は山添くんと藤沢さん2人の、ちいさなちいさな連帯の話で、これはこれですごく好きだったのだけれど、やっぱり今作みたいに、みんなが一堂に介して、同じものを見て同じ気持ちを共有するというあたたかさを感じられるのもいいよね。最後の移動式プラネタリウムのシーン、藤沢さんが暗闇にいて、山添くんは光の中にいる。でも色んな人が木漏れ日の下や、星の光の下で空を見上げていたりして、分かりきることはできないけれど、多分心が一瞬だけでも通じ合ってて、「あのこは貴族」のラストシーンに近しいものを感じた
フィルムで撮影することの良さって何なのだろう、フィルム特有のルックとか、温かさなのかな?と思ってて
今回は、光の捉え方なのかもと思った 光の鬱陶しさから、光の温かさまで幅広く表現できていたように感じていて、でも光が鬱陶しい/光が美しいと思える気持ちって登場人物の主観的なものだから、あえてPOVで表現するのではない、一つの解みたいなものを受け取った

横の動きよりも、縦の動きというか、奥行きの使い方で距離を表現するのが上手いと思う「ケイコ」でもそうだったけど、深さを使うのが上手い
あのトンネルみたいなところで、山添くんと藤沢さんが離れていくシーン、横移動より縦移動の方が、確実に観客も連帯について意識的になれるのかもと思った
あと途中どこかで、何処にでもある風景から、会社でみんなが働いてるシーンに切り替わるところがあって、その流れが(撮る位置が変わってないからなのか)あまりにも自然で綺麗すぎて、一瞬シーン変わったって気づかなかったぐらいだった
蓮實重彦が「三宅唱が撮る路地は、成瀬巳喜男でありながら小津的な構図が見出せる」的なことを言ってた覚えがある 成瀬巳喜男的であることってどういう意味なのか分からないし(だって見たことないし)小津的な構図がどういうことなのかも分かっていないのだが
例えば会社の中の扉一つとっても、誰もいない空間ですら、人の暮らしの息遣いが聞こえてくるような気がする ただのがらんどうなんてものはないのだよ、と教えてもらってる気分

山添くんの家の玄関前で、藤沢さんと話すシーン、1回目は藤沢さんが無理に山添くんへ歩み寄って大失敗してるところ(大変気まずい)、2回目は藤沢さんが自転車を渡しに行く意味のわからない歩み寄りと山添くんの1人散髪という無謀な挑戦のコラボ(山添くんの格好が気まずい)
気まずさの中に可笑しさがちゃんとある!ケイコの職質の時もそうだったし、「怪物」の校長室のシーンでも思ったけれど、シリアスさに笑いを少し足すのって面白い!てかこれユリイカでやりたいって言ってたことじゃん!めちゃくちゃ面白がって演出してる!と嬉しくなった
でも、よく考えたら藤沢さんは話す人、なのに対して山添くんは聞く人、という立場なのかも?
藤沢さんは冒頭からPMSの説明が丁寧にされて、その時のどうしようもない失敗の話とか、病気のやるせなさとか、言ったら「こんだけ辛いことなんだよ!」っていう表現が多いけれど、山添くんは自分の過去について、映像で提示するというよりは、自分の言葉で話すだけにとどまってる
パニック障害がどういうものなのか、どれだけ辛いのか、山添くんは何処まで抱えていて何処まで克服できているのか、みたいなのって私たちが一生懸命目を凝らさないと分からなくて、そう試みてもなお、私たちって全然分からないことだらけだよね。藤沢さんが山添くんに最初に歩み寄ろうとした大失敗って、PMSとパニック障害を同列に並べたことではなく、「服薬してる=たぶんパニック障害の類なんだろうな=私と同じように辛いのだろうな」と、辛さのベクトルを同じ方向にしちゃったことな気がする。

だからこそ、話す映画(のべつまくなしに語りかける映画)だったのに、ちゃんと「聴く」ことも私が意識できたのは、山添くんがカセットテープを見つけて、その声にずっと耳を傾けてくれていたからだろうなあと

山添くんと社長が乾杯して手を合わせるシーン、初めて無音になってて、人の祈りという聴こえないものにぐっと近く寄り添っていたよね
2人の寄りのショットから会社の俯瞰ショットに変わった瞬間、車の往来っぽい音聴こえるな?と思ったら、実はシーンを跨いでプラネタリウムの漣の音だったのねと、画面を跨いでいたのに、そこでさえ自然だった
分からなさを抱えた人たちが、多少乱暴であっても無謀であっても、同じ船に乗り込むような感じなのかも

俳優としての松村北斗さんを初めてちゃんと見た気がしていて、彼は会話の受け止め方と、聞く姿勢の取り方が上手い人なのかもと思った(ANN聴いてるとあんなめんどくさいアイドルなのに、こんな演技できる人だったんだ、やるやん、ってきもち)
散髪のシーンの北斗、めっちゃよかったなあ あの2人の演技のうまさが光ってた
でも散髪後の北斗めっちゃ出来上がり良くてウケた

終わった後むらかみが、「だし巻き卵みたいな映画だった」と言ってて確かにそうか…と思った 多分それ、お昼に食べただし巻き卵だよ

2024/2/14 追記
一つ思い出した。山添くんと藤沢さんが、お互いの抱えるものについて、自虐的に語り合う(自傷行為みたいな)シーンがあって、今思えばなんてよくできたシーンなんだろうかと電車の中で泣きそうになった。互いに傷つけあう、あるいは傷つきあう行為って、お互いの持ち合わせているものを見せ合ったからできることなのではないかな。
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