良いに決まってる。
当てに行った作品と言ってもいい三宅唱監督、全作品見たわけじゃ無いけど観た作品は全部好きです。
監督の映画は映画らしい映画というか
映画の性質をかなり意識的に物語を運んでいるという気がします。
冒頭とエンディングの雨、同じようで全く違う世界が広がるあの感じ
ルミエール兄弟の工場の出口を彷彿とさせるあのエンドロールの映像
映画のクリシェを用いながらでもそれを押し付けがましくなくわからない人にも映像で意味を伝えている。
良いですよねー、あー僕は今映画を観ているという多幸感にあふれました。
この映画にはわかりやすい山もなければ谷もありません
わかりやすい敵も出てきませんし提示された問題も根本的な解決を果たしません
だからこそ、この映画のバイブスに会う人のとってはずっと見せ場なんです。
特別なことは起きないとと言いましたが実はあの時間こそが特別でそうなるとずっと特別な事が起きていたという事もできると思います。
はい、劇中で語られる否応なく来る朝日というのは2人の関係の一旦の終わりも意味します。
それは実に映画的です。
でも監督はそこでは終わらなかった。
映画というのおわっていくものです。
でも先述したエンドロールのシーンの様に監督は終わらない事を示唆しています。
急に髪を切りに来てくれた。という何気ないナレーション、良いですね
現実でもあります。卒業の名の下に今生の別をしたつもりでも駅前でバッタリあったり、なんとなく遊びに誘ったり、そういう事あります。
終わりなようで終わりじゃない
それが現実で映画との圧倒的な違いです。
この違いを意識的に監督は捉えていると思うのです。
映画という終わりに支配されるメディアにおいてその後を感じさせることの重要性
彼等の物語をエンドマークに邪魔させない
彼等の物語はまさに今これからなのです。
世界のどこかでもしかしたらきっと同じような関係性が同じようなことでもがいているかもしれない
そう思うだけで自分の中で世界がちょっとだけ広がった気がします。