シシオリシンシ

夜明けのすべてのシシオリシンシのレビュー・感想・評価

夜明けのすべて(2024年製作の映画)
4.5
粒子の粗い16mmフィルムが映し出すのは、一見すると地味だけど心の深いところで静かに優しく響く温かな物語。
この作品の舞台は坂が印象に残るだけのありふれた町だが、そんなちょっと不便な町を自転車で下ったり登ったりしながらゆっくりと目的地へ向かっていく。そんなマイペースさを見守る心地よさをジンと感じる映画体験だった。

普段は穏やかで気遣い屋さんだがPMS(月経前症候群)によって一定の周期でイライラを周囲にぶつけてしまう女性・藤沢さんと、働き盛りの時にパニック障害を患い生きづらさと無気力に苛まれている男性・山添くん。
二人は栗田科学という学校用の実験キットを製作する会社に勤めている。第一印象で「この人とは合わない」と感じていた同僚の二人が、互いのハンデや事情を少しずつ理解していくことでお互いに不足したものを助け合えるようになる。
職場の人たちや友人、かつての職場の上司や転職エージェントさん、周囲の助けに支えられ、二人は障害の完治ではなく障害と付き合うことで一歩ずつどうにもならない自分と折り合いを付けていく。
そうやって二人が互いを共助する友人とも恋人とも違う無二の関係性になっていくところが素晴らしく良いのだ。

私自身がそういう精神の病を少なからず抱えている人間なので、藤沢さんのイライラや山添くんの不安からくる発作がいつ起きるか分からない=自分で自分をコントロールできないところは痛いほど共感したし身につまされる思いで映画を見ていた。

二人が働く栗田科学は社長の栗田さんをはじめ、藤沢さんと山添くんのハンデに理解を示して、一当事者目線からすれば「非常に助かる」対応をしてくれているのが素晴らしくて羨ましいとも感じる。
栗田社長は過去に副社長だった自身の弟をオーバーワークが原因の自死で亡くした経験をしており、今の栗田科学の無理をさせない社風や優しさもこの苦い経験から来るものなのだ。
また山添くんの前の職場のコンサルティング会社の上司も姉を自死で亡くした経験をしていて、栗田社長とは遺族会で知り合っていた。仕事によって精神的に追い詰められた山添くんを気に掛けて栗田社長に彼を預け、退職してもなお山添くんの助けになろうと交流を続けているのは仕事にかまけて姉の助けになれなかったことへの贖罪も含まれているのだろう。
こういう一昔・二昔前の社会全体が抱えていた病理を省みて、苦しむ同僚や部下を本当の意味でサポートしつつ彼らがハンデによって社会から溢れないように理解と受容を示す。そうすることでハンデを抱える人が持つ不安を減らし、本来の自分がポテンシャルを発揮できるようになり、それが巡りめぐって助けてくれた他者や会社や社会をその人の仕事で助けることができる。
この映画で示されていることは当事者側からすれば羨ましく感じるほどに理想であるが、絵空事では片付けられないモデルケースとして物語を通じて最善の解を伝えている。このお話は優しさの理想を提示したフィクションだけど嘘や絵空事では決してない。現実に目指せる道筋を示してくれたことが重要であり、この映画が持っている力なのだ。

山添くんははじめ栗田科学で働いてる姿は無気力で覇気のない青年だった。コンサル会社という前職にやりがいを感じてバリバリに仕事が出来ていた自分が、パニック障害を患ったことで理想としていた自分や職場とは真逆の所にいることの歯痒さもあったのだろう。
PMSの時の藤沢さんにイライラをぶつけられたり、自身もパニック障害の発作を職場で起こしたことにより、お互い自分が思いどおりにならないハンデを抱えていることを知る山添くん。

「自分のことはどうにもならないけど、それでも誰かを助けることはできる」
言葉としては当たり前のことだが、お互いに相手にそれを出来ることに今まで気付かなかったことを知る二人。
周囲の助けもあって、どうにもならない障害と付き合いながら互いに気付けない変化や失敗を助けることで「本来の自分」というものを取り戻していく。
いつしか藤沢さんと山添くんは互いの障害を冗談のネタしにて笑い合える気の置けない関係になっていた。(一歩間違うとセンシティブな描写になりそうなところをナチュラルに良い関係性として描けているところが見事。自身のハンデをネタにし合うこともまた受容の理想系の一つなのだ)

山添くんは藤沢さんと一緒に年に一度の移動プラネタリウムのナレーション原稿を担当することに。
そこで山添くんは栗田社長から弟さんがナレーションを担当していた頃のテープを聴き、本当に星が大好きだった弟さん(故人)との対話を重ねることで星や星座や宇宙に魅了され、腰掛けのつもりだった栗田科学での仕事が本当にやりたいことになっていく。
コンサル時代の上司は星座の魅力を楽しそうに語る山添くんを見て思わず涙ぐんでしまう。助けになれなかった姉への贖罪が、山添くんのプラスの変化を見届けたことで無駄ではなかったと気付き落涙したのだろう。

一方、藤沢さんはPMSによるイライラや体調不良と少しずつ上手く付き合えるようになってきた。友人から紹介された転職エージェントさんのサポートもあり、実家でパーキンソン病のリハビリをしている母の介護のために、三年間勤めた栗田科学を辞めることに。
それを聞いた山添くんは「いいじゃないですか」「すごいっすね」とさらっと応え、いつもと変わらぬ調子で二人は会話する。友人や恋人として依存していない関係性だからこそのカラッとしたやりとりであり、かといってどうでもいいなんてことはなく「おめでとうございます」「がんばってください」「ちょっと寂しいけど大丈夫ですよ」という言外の祝福を内包しており、二人の無二の関係性が集約された素晴らしきワンシーンだ。

「夜明け前がいちばん暗い」
この一節に則るなら人は誰しも夜明けという光を求めているように思える。けれど夜空の星がこの世で一番好きだという人だっているし、暗い夜は不安で早く朝が来るのを望む人だっている。
ただ事実なのは太陽は実は不動であり夜明けを連れてくるものではないということと、動いているのは地球であること。
それは人の精神も同じことだ。太陽のように自分ではどうしようもなく変えられない心のありようと付かず離れず付き合い、誰かに助けられ誰かを助けることで己の地球は自転と公転をすることができる。
太陽がそこにある限り、地球が動き続けている限り、必ず新しい夜明けはやってくる。
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