ワンコ

ツィゴイネルワイゼン 4K デジタル完全修復版のワンコのレビュー・感想・評価

5.0
【あな恐ろしや/漠然とした不安のなかで】

ん!?
梅の花粉のアレルギー!?

梅の花の咲く頃は、既にスギ花粉は飛んでいるはずだから、この映画に描かれた時代の春前後の季節性のアレルギーも実はスギ花粉の花粉症だったんじゃないだろうか…。

久しぶりに観て、改めてそんなことも考えてしまった。

この映画「ツィゴイネルワイゼン」は、疑問に思い始めたら、明快な回答などないのが容易に想像できるのに、そのスパイラルから抜けられない…というか、抜け出そうとさえしない人間の不安や、漠然とした恐怖を描いた作品だと思う。

そして、そんな思考パターンは、主要な登場人物全てに共通するところだ。

豪放磊落のように見える中砂もそうだ。
でなければ、娘に豊子などと名前はつけないだろう。疑っていたのだ。それに、もしかしたら、漫遊しているなんていって、実は不安から必死に逃避していたのではないのか。

様々な不安は、園も、小稲も、青地も周子も、そして、妙子も、目の不自由な先達たちも皆んな同じだ。

この作品が公開されたのは1980年だが、その前の1970年代は、オイルショックやら、インフレやら、アメリカのベトナム戦争敗戦やらで世界も日本も漠然とした不安を抱えていた時代だ。

それに、もしかしたら不安は、直接関係のない人にも伝播するのかもしれないなんて思わせられる。

これらが複雑に絡み合って物語の不安を高めていく気がするのだ。

そして、生きていると思っていた自分は実は死んでいるのではないのか。

こんな哲学問答を仕掛けそうな宗教家もいそうな気はするが、これは究極の不安に違いない。

昔観た1987年公開の「エンゼル・ハート」が、眠っている間に別の自分が起きて活動していることを暗示していて、今考えると、乖離性同一症のメタファーだったのかななんて思うが、これは怖いなと感じたのと”生きていると思った自分は実はもう死んでいた”という怖さと共通している気がした。ちなみに、エンゼルは人の名前で、ミッキー・ロークが演じている。ロバート・デニーロが共演だ。

とにかく、自分以外どころか、自分自身の存在をも確認できていないのだから、それは恐怖以外何ものでもない。

それに、もし死んでいるのであれば、骨は中砂にくれてやらなくてはならないではないか。

※ この映画の原案は内田百閒の「サラサーテの盤」とされ、文学作品だと思いきや、映画としてはホラーのカテゴリーでもあるらしい。映画では、ドラマというカテゴリーはよく見かけるが、”ドラマ/ホラー”とするより、個人的には「文学」として欲しいなあ。ホラーか……。そういえば、ユーザーネームが百鬼園さんという方がいらっしゃるが、内田百閒がきっと好きなんだろうななんて思う。百鬼園さん、これは、文学ですよね。
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