シゲーニョ

SISU/シス 不死身の男のシゲーニョのレビュー・感想・評価

SISU/シス 不死身の男(2022年製作の映画)
3.9
劇場公開直前、PRを兼ねたネット記事を何気なくボーっと見た時のことだが…。

「SISU…? シス? 『スター・ウォーズ』の“シスの暗黒卿”…?!」と、独りボケツッコミを入れながら、すぐに目に留まったのが、記事の横に貼られたアイキャッチ画像。

ツルハシを片手に、スゴむような目付きでコッチを睨む初老のオッサンを、ナメてたジジイが湾岸戦争で視覚を失った元凄腕ソルジャーだった「ドント・ブリーズ(16年)」、バーの主人だと思ったら、ベトナム戦争帰りの最恐変態爺さんだった「VETERAN ヴェテラン(19年)」などで、殺人マシンを演じたスティーブン・ラングだと、マジに勘違いしてしまったのだ(汗)。

さらには、粗筋もちゃんと読まずに、妻を殺されたオッサンが怒り狂い、オリジナルの武器を作って復讐を成し遂げようとするニコラス・ケイジ主演の「マンディ 地獄のロードウォリアー(18年)」みたいな物語なんだろうと勝手に思い込み、その頃、そういったジャンル映画に食傷気味だったこともあって、劇場鑑賞をスルーすることに迷わず決定…。

しかし、それから約4ヵ月後…
先日、配信でたまたま鑑賞した際、勝手に決めてかかったこと、誤った思い込みをしてしまったことを大いに反省することになる。

本篇正味91分。
総尺2時間オーバーは当たり前、3時間近くのアクション・エンタメ大作も稀じゃなくなった昨今、このコンパクトさもイイが、観ていて全くダレるところがない。

余計な回想シーン無し!想いにふける暇無し!!
「絶対にオレは死なない!必ずやり遂げてみせる!」という不屈の闘志を燃やしながら、只々、前に突き進む主人公の姿に圧倒されるだけだ…!!

スティーブン・ラングと見間違えたことが、今更ながら恥ずかしくて仕方がないのだが、観終わった後、主人公アアタミを演じたヨルマ・トンミラに、(去年日本で公開、もちろん自分が観た作品に限るが)2023年No.1ベストアクター賞進呈を決意するに至った…(笑)。

本作「SISU/シス 不死身の男(22年)」は、第二次大戦末期の1944年、ソ連に侵攻され、ナチス・ドイツに国土を焼かれたフィンランドのラップランド地方を舞台に、荒野で大量の金塊を掘り当てた老兵が、それをこっそり換金しに行くだけだったはずが、途中で運悪く不良ナチスの御一行さまに遭遇してさぁ、大変というおハナシ。

しかも、撤退の土産にオッサンの黄金を奪おうとした結果、実はアアタミがかつて精鋭部隊の一員として名を馳せた伝説の兵士だったことから、返り討ちにあい、次々と血祭りにあげられていくという、観ていてちょっぴり敵のナチスが可哀想に思えてしまうような展開…。

鬼に金棒! ジジイにツルハシ!

老兵だと侮るなかれ。
主人公アアタミは、全身から“殺意と加齢臭”を漲らせながら、襲いかかってくるナチスを、ツルハシ1本を武器にブチのめし、逃げるヤツがいればブチ殺すまで追いかける。

まぁ、正直、流石にそこは死ぬでしょ?という場面も多少あるのだけれど、アアタミを演じるヨルマの顔には、それをねじ伏せる説得力がある。

アアタミは筋肉ムキムキじゃない還暦すぎたジイさんのため、すぐにヤラれちゃいそうに見えるのだが、劇中、ナチスのトラックに拉致された女囚の「He Just Refuses to Die(彼は死ぬことを拒否している)」という台詞があるように、アアタミ本人が勝手に死ぬのをやめちゃっているワケなので(笑)、足が裂けそうになっても、顔が半壊しそうになっても、次の場面ではピンピンしている。

[注:余談ながら、ミモサ・ヴィラッモ演じるこの女囚は、他にも胸に刺さる名台詞を吐く。アアタミにつけ狙われてビビるナチス兵に向かって「You’re Already Dead(アンタら、もう死んでるのよ)」と、漫画「北斗の拳」のケンシロウみたいなことを言うのだ(笑)]

但し、瀕死の重傷を負った際、痛みを感じているシーンはちゃんと丁寧に描いている。

極寒の中、痛手を負った上半身を露わにしながら、ナチスの攻撃で受けた傷口一つ一つに水をかけ、苦悶の表情を浮かべて洗い流す。

ナチスとの戦いがドンドン熾烈を極めるのに比例して、アアタミの体も見る見るうちにズタボロになるのだが、その度に、身体中に受けた傷を炎で炙って消毒!痛み止めなしに出来合いのもので縫合!その辺に転がっている釘や刃物で肉を抉って銃弾を取り出す!!!

これらの場面が自分に強く印象を与えたのは、観ていて痛覚を刺激する描写ということだけじゃなく、痛みに伴う悲鳴を上げたり、弱音を吐くことをアアタミが一切しないからだ。

そもそも、劇中のアアタミは、冒頭での泥の中から金塊を見つけた際、嬉しさのあまり我を忘れて上げた奇声と、終盤のあるワンシーンでの一言以外、全く声を発さない。

その代わり、“怒り・憎しみ・苦しみ・悲しみ”といった負の感情が湧き起こった時、同じアングル、もしくは同じようなサイズで、彼の表情をジャンプカットのような編集で幾重にも映し出し、無口な男の胸の内をカメラが雄弁に語っていく。

本作は、主人公が実は、過去にたったひとりで300人ものソ連兵を殺し、“One Man Death Squad (たった独りの殺人部隊)”と恐れられていた伝説の老兵だったと判明する中盤あたりまで、何か意味がありそうなアイテムは映すものの、素性が知れないミステリアスなイメージで描いている。

戦時中の荒れ果てた野っ原で、たった独りのテント住まい。
連れは犬一匹と、一頭の老いた馬しかいない。

見渡す限り、360度地平線…その遥か先で、ナチスが街を焼き尽くす焼夷弾、夜空を赤く染める戦火が何度も見え、その度に苦悶の表情を浮かべるアアタミ。
その左手の薬指に、亡き妻を今も尚愛おしく思っていることを想像させる指輪。首には、黒く焦げた認識票みたいなものを掛けている。

また、掘り当てた金塊が狙われていると悟った最初の頃は、敵兵の数、戦車・機関銃などの武器といった物量の差のあまり、戦いを避けて逃げることを選択していたアアタミだったが、ナチスが通り過ぎた後に残された破壊尽くされた建物、電柱で絞首刑にされた死体など、無惨な光景を目の当たりにしたことで、徐々に怒りを募らせ、ついにアアタミの鉄槌が牙をむく理由=彼の行動原理を、わざわざ台詞で説明しなくてもスムーズに理解できるように演出している。


因みに、本作のタイトル「SISU」という言葉には適当な翻訳がないと、冒頭でテロップインされるのだが、「ホントか!?」と訝しく思って調べてみると、いじめに屈しないとか、失恋にめげないとか、貧困に負けないとか、フィンランドでは生活全般でも使われるものらしい。

監督ヤルマリー・ヘランダーのインタビューによれば、敢えて英語に変換すると「Stoic Determination」。
非常に困難な状況下に於いても、何かを成し続けようとする“禁欲的な決断力”を意味するらしく、おそらく、その国土の位置から東にスウェーデン、西にソ連という大国に挟まれ、常に脅かされてきた中で培われたフィンランド人特有の「逆境に立ち向かう精神」を指しているのだろう。

まぁ、いずれにせよ、ナチスには到底理解できない哲学で、肉体の損傷よりも優先すべき課題のためにアアタミは突き進んでいくワケだ。

このように本作「SISU/シス 不死身の男」は余計な展開や背景は語らず、敗戦濃厚なドイツ・ナチスがフィンランドから撤退する間際に、“退職金代わり”に、アアタミの金塊を狙い、倍返し以上でぶっ殺される展開がテンポよく描かれていくのだが、敵対するナチスも主人公に負けないくらい台詞が少ない。

悪の親玉、ブルーノ・へルドルフ中尉(アクセル・ヘニー)が部下たちを盛んにけしかけ、「行け!」「待て!」「殺せ!」と命令するのがほとんどだ。

そんな中、地雷原とか、川底に身を潜めるアアタミの息の根を止めるために、オヤブンの指示で偵察に行かされる下っ端のドイツ兵たちが、「え…?マジで…次、俺っすか?」的な、ホントに嫌そうな顔をするのだが、翻って観ると普段日常の職場でもありがちな風景で、実際にパワハラ受けてる方々にしてみれば、観ていて身につまされる思いをしたのではと、恐縮ながら想像させられてしまった…(汗)。

閑話休題…

本作は本当に“寡黙な映画”であり、開巻後、ちゃんとした台詞が出てくるまで10分以上かかる。
しかも前述したように、喋ってもみんな、必要最低限の言葉数のため、観ている側が先の展開を予想することは至極困難で、特に序盤から中盤にかけては、いきなり唖然となる場面が数多く噴出する。

例えば「章立て」。
わずか90分少々の映画で“章立て”って、始めはギャグのつもりだろう!と思っていたのだが、劇中、アアタミの駆る馬の足元のクローズアップを何度もカットバックしたと思っていたら、突然地雷でボン!

馬が地雷を踏んで爆死した瞬間、絶妙のタイミングで「CHAPTER 3 MINEFIELD(第3章 地雷原)」と画面いっぱいにドーン!と映し出されるのだ。

他にも…追手の軍用犬の鼻を効かなくするために、いきなりアアタミがカラダ中にガソリンかけたと思ったら、それは観ているコッチの想像をはるかに超える行動の単なる序章に過ぎなかったり…、水中深くに潜んでいれば、敵が潜ってくるのをひたすらずーっと待って、来たら喉を掻っ切り、なんと“生酸素ボンベ”…。

イチバン最高なのは、無差別に殺傷する非人道的兵器の地雷を、埋めた張本人であるナチスがアアタミに投げ返されるシーン。

最初に、目の前に転がっている石ころを一掴みし、草野球並みの力感のないフォームで、埋まった地雷に当てる抜群のコントロールを見せると、爆煙巻き上がる中、今度は地雷そのものを投げ返すジイさん…。

まさに掟破りの必殺!地雷投げ!

慌てた隊長の「一体、いくつ地雷を仕掛けた?」という問いに、「ハイ!全部であります…」と、苦虫噛んだような顔で答えるバカ下士官。
退却中のため、持ってた地雷を置き土産とばかりに、全部仕掛けたことがアダになるナチスが、敵ながらも不憫に思えてくる…(笑)。

要は、追う者と追われる者だけというシンプルな構成ながら、第二次大戦の戦場では当たり前とされた“非道ぶり”が、正しく粛正され、想像以上の手痛いしっぺ返しを喰らう展開が延々と続くワケで、観ていてカタルシスを感じるのは当然の帰結だろう。

去年公開されたインディ最新作が、ナチス政権下のドイツでV2ロケットを発明し、戦中、アメリカに亡命する実在の人物ヴェルナー・フォン・ブラウンをモデルにした悪玉をやっつけるという、周りくどいやり方で溜飲を下げようとしたのに比べれば、棺桶に片足突っ込んだような老兵がナチスをちゃんとボコボコにする場面の方が、同じフィクションでも観ていて何倍もスッキリする。

単純な身体能力や戦闘能力じゃなく、「気持ち」が一番ってことなんだろうが、こんな“映画的ウソ”をすんなりと許せてしまう作品なのだ。

まぁ、アアタミのような腕っぷしが強く、無口でミステリアスで、カリスマ性のあるキャラクターは過去にもいたし、只のジジイが実は殺人マシーンだったという映画は、これまでにもソコソコ作られてきた。

「狼よさらば」シリーズ第4弾「バトルガンM-16(87年)」でのチャールズ・ブロンソンは、撮影時66歳で、邦題にもなったグレネードランチャー装備のM16を筆頭に、ワルサーPPK、UZI等あらゆる武器を駆使して合計36人を処刑。
「狼たちの処刑台(09年)」では、喜寿間近の76歳のマイケル・ケイン演じる退役軍人のジイさんが、アテにならない警察に業を煮やして、友人を殺害したチンピラどもを血祭りにする。

ネットの記事を読むと、スコープの無いライフルで500人以上のソ連兵を殺害したと云われる、第二次大戦の実在の狙撃兵、“White Death(白い死神)”として恐れられたシモ・ヘイヘが、主人公アアタミのモデルとされているが、あくまでも勝手な推論だが、おそらく監督ヤルマリー・へランダーが少年期に楽しんだであろう、80年代ハリウッドアクションへのオマージュがあるように思えてならない。

特にインスパイアされたと思しき作品が、シルベスター・スタローンの代表作「ランボー」シリーズ。

まぁ、「ランボー」自体が、一見ヒッピー風のホームレスが実は元グリーンベレーのベトナム帰還兵だったという筋書きだったし、前述した血まみれになったアアタミが己ひとりで傷を縫ったり、ガソリン等で消毒するのは、1作目「ランボー(82年)」にあった崖からのダイブで負傷した右腕を自分で縫合するシーンや、「ランボー3/怒りのアフガン(88年)」での右脇腹の裂傷に薬莢の火薬を塗りつけ、炎を引火させるカット、ほぼその完コピだ…(笑)。

ヤルマリー・ヘランダーは幼少時に観た「ランボー」に相当魅せられたらしく、映画を観て以来、森の中でよく、弓矢やナイフで(!?)遊んでいたらしい。

そして、一匹の犬と荒野を彷徨う姿は、モロに「マッドマックス2(81年)」。

余談ながら、アアタミの飼い犬は、おそらくベドリントン・テリアだろう。
ちょこちょこ走り回ったり、地獄と化した戦場を歩くご主人の後ろを4、5m離れてちゃんと付いていく姿など、頭をナデナデしたくなるほどカワイイのだが、調べてみると、ベドリントン・テリアはかなりの頑固者らしく、一度決めたら一歩も譲らない気の強さがあって、周りのワンちゃんと争いになってしまうことも多く、一度ケンカを始めてしまうと、御主人様でも制御できなくなることもあるそうだ。

そう云えば、かつてCS放送で観た、ヘランダーがメガホンをとった前作「ビッグゲーム 大統領と少年ハンター(14年)」も、80年代&90年代のハリウッドアクション映画からの多大なる影響とリスペクトに溢れた作品だった。

サミュエル・L・ジャクソン演じる大統領の専用機でのアクションは、ズバリ、ハリソン・フォード主演の「エアフォース・ワン(97年)」、弓矢を用いて敵と戦うのは「ランボー/怒りの脱出(85年)」を彷彿させるし、崖から冷蔵庫に詰め込まれたまま、サミュエル・L・ジャクソンが落とされるシーンはやや強引ながらも、「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国(08年)」のパロディーと言っていいだろう。

また、UFOっぽい脱出ポッドから大統領が出てくる場面で、ジェリー・ゴールドスミス作曲の「エイリアン(79年)」の劇伴が、微妙にアレンジされて流れてきたりする(笑)。

但し、自分としては、本作「SISU/シス 不死身の男」を観ながら時折、2、3年前に鑑賞したロシア映画「ナチス・バスターズ(20年)」を思い出してしまった…。

1941年冬のモスクワを狙うドイツ軍が、“赤い亡霊”と呼ばれるロシア兵の狙撃の名手と一戦交えるハナシで、戦争映画というよりもマカロニ・ウェスタンに近いティスト。
舞台が村という、「荒野の用心棒(64年)」とか「続・荒野の用心棒(66年)」みたいな限定された空間ということや、劇伴も何処となくマカロニ風になっている。

なので、あくまでも個人的にだが…
本作は、セルジオ・レオーネの「続・夕陽のガンマン(66年)」の主人公、クリント・イーストウッドが扮した名無しの男が、もしも第二次大戦のフィンランドに蘇ったらというハナシにも思えてきてしまうのだ。

「続・夕陽のガンマン」は金塊ではないが、大量の金貨をめぐって争奪戦が繰り広げられる物語だったし、本作同様、“縛り首”が重要なエッセンスになっている。
また本作のエンドクレジットで流れる曲が、ホンの僅かながら、エンニオ・モリコーネの名曲「黄金のエクスタシー」をアレンジした曲調に聴こえてくる。

そして、最も自分をそう思わせたのは、アアタミの劇中最初にして最後のたった一言の台詞が、「続・夕陽のガンマン」で金貨が入った重そうな袋を馬の鞍に結びつける時、かったるそうな表情を浮かべたイーストウッドの“心の声”のような気がしてならないのである…。

「Bills.
 Big Ones, Please.
 Won’t be So Damn Heavy
  to Carry Around…」
(劇中では、フィンランド語ですが、イーストウッドがさも喋っている感じで、勝手に英訳してみました…笑)


最後に…

フィンランドと聞けば、ムーミンとか、オーロラ、サウナ、あとは「Artek」といった家具メーカーくらいしか頭に思い浮かばない、ホボホボ無知な自分が、本作を鑑賞し始めてまず驚いたのは、「フィンランド製の映画なのに、なんでみんな英語、喋ってんの?」。

その理由は色々あるらしく、フィンランドの公用語は「フィンランド語」と「スウェーデン語」なのだが、その一方、フィンランド人の多くはスムーズに英語でコミュニケーションをとることが可能だかららしい。

フィンランドは日本と異なり、小一から英語教育がスタートし、10人ほどの少人数クラスで、先生は英語を教えるプロの資格を持った人が絶対条件。
学習方法もゲームの要素を含めた内容のため、子供たちは“勉強している”と云うよりも“遊び感覚”で伸び伸びと学んでいるらしいのだ。

また、テレビで放送されるドラマや映画は、フィンランド国内で製作されるものよりも、海外の英語圏から入ってくるものが多いため、日常的な娯楽を楽しむためにも、英語で理解することが当たり前になっている。

そして一番肝心なのが、フィンランドが人口500万人程の小国のため、ド派手なエンタメ映画を作るには、海外マーケットを意識した「英語劇の映画」を作らないと、まったく儲からないからだそうだ…(爆)。