くもすけ

マン・オン・ワイヤーのくもすけのネタバレレビュー・内容・結末

マン・オン・ワイヤー(2008年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

ゼメキスの「ザ・ウォーク」の元ネタになったフィリップ・プティについてのドキュメンタリー。

■小さなフィリップの大きな夢
芸名かと思ったらプティは本名だった。フィリップの父エドモンド・プティは空軍のパイロットで作家。1949年生まれのフィリップは幼い頃から登ることに取り憑かれ、16歳のとき綱渡りに目覚める。18歳のとき歯医者の待合室でWTC建設計画の記事に天啓を受け、「世紀の芸術的犯罪」を思いつく。1971年にノートルダムの2つの塔を、1973年にシドニーハーバーブリッジを綱渡りして喝采を浴びた。1973年4月4日WTCがついに開業したとき、25歳のフィリップは計画を実行に移す。

フィリップは執念の人だ。松葉杖をついて建物の周りを入念に調べ、模型を作り、記者のフリをして屋上の写真を盗み撮りし、帰国して盟友ジャン・ルイと作戦を練る。110階建ての上空では縦揺れ横揺れが激しく、ワイヤーのねじれもあるから、支え綱(guy lines)がいる。通常真下に垂らして地上に繋ぐところだがビルが高すぎるので、ワイヤーに交差するように渡らせてビルに繋ぐ。

■オーバー・トップ・オブ・ザ・ワールド
1974年8月6日16時、チームはフェイクIDをつけてスーツ着用で107階展望デッキ「トップ・オブ・ザ・ワールド」を超えるが、警備が巡回していて身動きがとれなくなる。そのまま3時間もシートの影に隠れ続け、深夜23時ついに屋上にたどり着きようやく設営を開始する。

映画の前知識ゼロだったのでここまでゲリラ的だったとは驚きだった。あの警備員は何だったんだ。
フィリップはおそらく誇張を含んだ独特の口調で回想する。警備員と踊ったパ・ド・ドゥ、ジャン・ルイが弓で放った細い糸を全身で探るために服を脱いだ屋上。
チームは寄せ集めで言葉も通じず、当然携帯もないから、もう片方のビルにいるジャン・ルイと手をふり合うところで安堵のため息が出た。

ようやく設営が終わったのは明け方4時。疲労と興奮で異常な心理状態だったと思われる。チームの一人がもう帰ろうと言い出すが、フィリップの眼はギラギラで口元には笑みが浮かんでいる。

8/7水曜日午前7時、通勤中の歩行者のはるか上空410mの綱の上をフィリップが歩き始める。地上では待ちくたびれた恋人アニーが空を指さして叫ぶ「Funambulisme!」(綱渡り)
フィリップは45分間で8往復し、踊り、寝転び、跪いてはるか地上の観客にむけて挨拶をした。

駆けつけた警備員は彼を取り押さえようにも綱の上では誰にも手が出せず、指を咥えて曲芸を見守る他ない。当のフィリップはカモメとおしゃべりして、地上からの喝采に耳を澄ませていた。

■ダンスが終わって
映画はフィリップが逮捕されておしまいだが、その後もフィリップは綱渡りを続けていた。アートフェスやコンサートの余興に招かれ、ポンピドゥー・センターではシラク大統領をゲストに招き、エッフェル塔からはセーヌ川を渡り、90年には日本にも現れ赤坂ミカドプラザでパフォーマンスするなど、2000年代初頭まで世界各地で綱渡りを披露した。

1991年にヘルツォーク製作のインタビューが放映され、続々とドキュメンタリーが作られて、02年の自著に基づいてつくられた08年本作で世界中で賞を総なめした。
単なる回想ドキュメンタリーがここまで高評価を得た理由のひとつに9.11があるはずだが、マーシュ監督がそのことに劇中一言も触れていない理由を答えている。
タワーの崩壊にまつわる議論やイメージでフィリップの「信じがたく美しい」アクトを汚すのは不公平で間違いだ、と。

1974年以降のパフォーマンスは関係各社との協力のもとショーとしてお膳立てされたもので、以前のような非合法ゲリラと違いもはや逮捕される心配も(安全面の不安も)なくなった。しかしそのかわり間違いなく何かが終わった、と映画はしめる。盟友やかつての恋人は口を揃えて、その分岐点が1974年8月7日だったと語る。

WTCのパフォーマンスのあと、フィリップは屋上から警察に連行されて何度となく記者から尋ねられた質問に答える。
「これで今朝1000回目の『なぜ』だ!いいか、『なぜ』なんかないんだよ!」