荒野の狼

碁盤斬りの荒野の狼のレビュー・感想・評価

碁盤斬り(2024年製作の映画)
-
原作をアニメなんかじゃなく古典落語から持ってきたというので大いに期待させたが、アレンジされた脚本でメチャクチャになってしまった。元になった演目『柳田格之進』は、各々(おのおの)が各々のやり方で「自身が責任をとる噺」であって仇討ち劇ではない。復讐仕立てならポール•シュレイダーの『カードカウンター(2021)』になってしまうし、それだったらこちらの方が、ゲーム戦のシーンや、解説の配分も含めて何倍も完成度が高いし演技も数倍上をゆく。碁会所はカジノとは違う。
キャラにおいては草彅君はまあ仕方ないとして、万屋源兵衛の人物像形が致命的にまずい。映画に国村隼を使ってはダメである、この俳優だとどう転んでも第一印象が全てで画面が汚れる。あの人相、囲碁の相手など真っ平である。そうではなくて、そもそもこの男こそ最初から最後までブレのない、よくできた商人の人格として描かれなければ、格之進の融通のきかぬ四角四面実直な輪郭が明確にならない。ましてや柴田兵庫なる男などジャマでしかない。
一方、身を託(かこ)つ浪人の父を心配して碁会所に向かわせた娘•絹の存在は重要で、すなわち事の起こりは全て自分にあると察した彼女の決断も、こんな描き方では説明不足だ。
映画的に面白くしようと思ったのかもしれぬが、これじゃあ古典落語の「粋」と「人情」とは無縁の安物劇画ではないか、それこそ最もやってはいけない誤った換骨奪胎である。
碁盤は日本刀では割る事は出来ても、斬れるものではない。源兵衛にとって高価で貴重な碁盤と碁石は、同時に別の意味で格之進自身のメタファーでもある。従って彼はこれまでの自分を叩き割る事によって、自分なりに〆(しめし)をつけたといういちばん重要なオチを台無しにしてしまっては、なんにもならない。
荒野の狼

荒野の狼